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陸軍の三廠 広島郷土資料館 

2014年02月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

明治27年(1894)の日清戦争で兵や軍需物資を大陸に送り出す拠点となった広島には、以後陸軍糧秣支廠・同被服支廠・同兵器支廠などが設置されました。
三つの支廠は陸軍=国の機関でしたが、広島市民にとって工員としての雇用、業務の請負先や勤労奉仕先となるなど身近な存在でした。昭和20年(1945)の原子爆弾投下後には救護所となり、廠内で多くの人が亡くなるなど、広島市民の生活に大きく関わっていたのです

 
広島郷土資料館
この建物はかつての旧陸軍糧秣支廠(りょうまつししょう)缶詰工場
戦後は1977年まで民間企業が使っていたが、建物の1/3を市の資料館として保存することになり、1984年に改修工事を受け、1985年にオープンした。
この改修工事ではレンガ造の内側にコンクリート躯体を新設し、耐震性と新たな床を生み出している

 

   資料館北側

凝った意匠が見られます。


     旧陸軍糧秣支廠缶詰工場煙突基台部

 

 

 


広島陸軍被服支廠
広島市内に何故か広島陸軍被服支廠(ひろしまりくぐんひふくししょう)の建物が残されています。
 
原爆投下により広島市は壊滅状態に陥いりましたが、爆心地から約2.7km離れていた被服支廠は外壁の厚みが60cmと厚かったこともあって焼失や倒壊は免れ救護所として使用されました。
避難してきた多くの被爆者がここで息を引き取りました。
このとき爆風により大きく歪んだ窓の鉄製扉は、現在もそのまま残されています。

  歪んだ鉄扉もそのままです。

 


 

黄金山から見てみる


4棟残っているようだ

 

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