メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生日々挑戦

「竹内智香選手。君は男より男らしい」 

2014年02月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

 私たちスポーツ観戦者は、アスリートの活躍を観るとき、単純にその成績とか競技結果だけを観がちだ。しかし、スポーツ観戦者に人生ドラマがあるように、アスリートの活躍の陰にはもっと人の心を打つ人間ドラマがある。

 そうしたアスリートの人間ドラマに思いをいたしながら、アスリートの活躍を観ると、スポーツ観戦は、格段に面白い。
 

 今から4年ちょっと前、2010年バンクーバー五輪の直前のことだ。バンクーバー五輪に出場する期待選手に係るドキュメント番組が放送された。期待のアスリートは、スノーボードアルペンの竹内智香(たけうちともか)選手だ。

 竹内智香選手は、北海道旭川市出身で、1983年12月生まれの当時26歳。スノーボードアルペンのパラレル大回転では、2002年ソルトレイクシティー五輪は22位、2006年トリノ五輪は9位と順位を上げてきていて、2010年バンクーバー五輪ではメダルを期待された。

 くだんのドキュメント番組は伝える。歴史が浅い日本選手は、なかなか欧米選手の技術レベルに到達するまでにいけない。

 そこで、2006年トリノ五輪後、竹内選手は驚くべき行動に出た。日本で開かれた大会の折に、ヨーロッパの強い国のチームに、自分をそのチームに合流させ一緒に練習できるよう頼み込んだのだ。

 要するに、各国のナショナルチームに日本の女の子を混ぜてくれと頼んだのだ。竹内選手は、ヨーロッパの各国語は話せないから、身振り手振り、片言語を使っての交渉だ。当然、断わられた。

 しかし、竹内選手は諦めない。日本での大会が終わった後も、頼み込みを続けた。その熱意にほだされて、ついにスイスのナショナルチームが合流を許してくれたのだ。


 竹内智香選手は、たった一人でスイスのナショナルチームに加わり、共にトレーニングを続けた。そうした練習生活は、2010年バンクーバー五輪時点で4年も続いている。

 2010年バンクーバー五輪で、竹内選手は、スイスのナショナルチームと行動を共にする、しかし、日本代表選手である。

 技術レベルを上げ、メダルを期待された2010年バンクーバー五輪。結果は、残念ながら、13位に終わった。

 ドキュメント番組で、竹内智香選手の努力や苦労を知っただけに、津軽のシニアブロガーは、2010年バンクーバー五輪で、竹内選手を猛烈に応援した。そして、残念な結果に終わった竹内選手の無念さに心が痛んだ。

 
 バンクーバー五輪が終わり、4年間は瞬く間に過ぎる。
 

 ソチ五輪の女子スノーボードアルペンのパラレル大回転。竹内智香選手は、予選を1位で通過し、決勝トーナメントでも安定した滑りで決勝進出を果たす。この時点でメダルは確定し、金か銀。

 決勝は、世界ランク1位、スイスのパトリツィア・クンマー選手との対戦だ。1本目は、クンマー選手に0.30秒差をつけて逃げきったが、2本目の中盤にわずかにリードを許したところで勝負をかけて転倒し、銀メダルとなった。


 2006年トリノ五輪後、23歳の時にスイスのナショナルチームに加えてもらった竹内智香選手は、2010年バンクーバー五輪後の2年間も、つまり28歳の時まで共に練習を続けた。

 その6年間の早い時期に、竹内選手は、独学で言葉もマスターした。スイスで使われるのはドイツ語だ。スイスドイツ語というらしい。日本語の大阪弁みたいな感じで、ドイツ語のスイス弁といったところだ。

 これをマスターしなければ、スイスの選手とのコミュニケーションがとれない。コミュニケーションがとれなければ、技術の修得もままならない。

 それどころか、生活もままならない。なぜか。実は、竹内選手は、スイスでは住むところがない。練習時以外の生活を送るためには、スイスナショナルチームのチームメイトに泊めてもらわなければならないのだ。

 スイスのチームメイトは、親切でいい人ばかりだとしても、人間だもの。いじめやトラブルがあったって、なんも不思議はない。しかし、そんなことになれば、困るのは、竹内選手自身だ。

 竹内選手は、考えた。一番いいコミュニケーション方法は、笑いをとることだ。吉本の芸人よろしく笑いをとる。そのためにも、彼女は、必死で独学でドイツ語のスイス弁をマスターしたのだ。それとともに、当然、世界最高レベルのスノーボードの技術もマスターしていった。

 そして、人生とは、不思議なものだ。

 ソチ五輪の女子スノーボードのパラレル大回転で、竹内選手が惜しくも金メダルを譲った相手は、クンマー選手。クンマー選手は、かつてのスイスナショナルチームのチームメイトだ。竹内選手は、クンマー選手と同室で生活したこともあるのだという。

 今回のは、まさにドラマだ。事実は小説よりも奇なりである。

 たった一人してスイスナショナルチームの中で6年間も技を磨き続けた竹内選手。そして、苦難のオリンピック4大会連続出場の末に、悲願の銀メダルに輝いた竹内選手。

 貴女は、一人で道を切り開き、歴史を作った。さすがは、フロンティア精神旺盛な道産子だ。素晴らしい。なんと雄々しいことよ!!

 津軽のシニアブロガーは、竹内智香選手の頑張りに最大限の敬意を込めて申し上げる。

 「竹内智香選手。君は男より男らしい」。

 

 ブログに訪問下さり、ありがとうございます。  
 

 私の人気ブログランキングへの応援のため、
 ポチッと↓をクリックお願いします。
 http://blog.with2.net/link.php?1546952 



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ