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中国に、遣中使『阿倍仲麻呂』さん派遣出来たらなー 

2014年03月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



唐の高官となり、唐の中枢で人望を集め活躍した阿倍 仲麻呂

日本、中国は最悪の状況です、今更ながら『田中角栄』さんの先見性・政治力、認識いたします
奈良時代の遣唐留学生、唐で科挙に合格、唐朝で高官出世したが日本への帰国を果たせずに唐で客死した
科挙とは、現地の人でも、1000人に1人位しか合格しない最難関の役人登用試験です






阿倍仲麻呂(引用)

仲麻呂『科挙』に合格し、唐高官に就任
698年大和国に生まれ、若くして学才を謳われていました
多治比県守が率いる、遣唐使に同行して、唐に留学しました
唐の太学で学び、科挙に合格し、唐の玄宗に仕えました
洛陽の司経局校書として任官、左拾遺、左補闕と出世しました

日本への帰国の旅
唐での官途を追求するため、数度の帰国依頼も退け、唐の高官として活躍していました
在唐35年を経過し、秘書監・衛尉卿に出世、帰国することを上奏しやっと許可されました
帰国の途、仲麻呂の乗船した船は暴風雨で南方へ流されました
李白は、仲麻呂が落命したという誤報を伝え聞き、「明月不歸沈碧海」を詠んで仲麻呂を偲びました
仲麻呂の乗船した船は、現在のベトナムに漂着し、陸路長安に帰着しました

唐の高官として再び活躍
唐で再び官途に就き、従三品、正三品とし出世して、ベトナム総督を務めました
761年から、6年間もハノイに在任し、従二品へ出世しました
日本へは、帰国出来ず73歳の生涯を閉じました

仲麻呂が、故郷を思い詠んだ歌
『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』(古今和歌集)

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