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人生日々挑戦
「吉田沙保里選手のお父さん」
2014年03月14日
テーマ:暮らし
去る3月13日午後11時頃のテレビ放送の画面。それは、レスリング女子五輪3連覇の吉田沙保里選手のインタビューの模様を伝えた。
青ざめて焦燥しきった表情の吉田選手は、涙を流しながら、語る。相当疲れているようだ。
「お父さんのためにも絶対出て、優勝するように頑張りたい」
「お父さんはレスリング一本で、何でもレスリングを優先してきた人。ナショナルチームのコーチになっていたので、一緒に戦ってくれると思う。(W杯に)出て日本が優勝することでお父さんは喜ぶと思う」
吉田選手の父の栄勝(えいかつ)さんは、3月11日にくも膜下出血で急逝されており、この日3月13日は、三重県津市で行われた通夜会場で取材に応じたのだという。
吉田選手が出場を明言したのは、3月15日、16日に東京・板橋区の小豆沢体育館で行われる国別対抗団体戦の女子ワールドカップ(W杯)である。
栄勝さんの葬儀・告別式は3月14日午後0時30分から津市内で行われるが、W杯への出場のためには、3月14日の午後5時からのメディカルチェック、同5時45分から計量があるため、遅くとも午後2時までに津市からの移動を開始しなければならない。
吉田選手は、3月11日にお父さんを亡くした以降、ろくに眠っていないのだろうことは、テレビ画面に映し出される、吉田選手の青ざめて疲れきった表情から、一目瞭然である。
そんな厳しい状況下で、通夜、葬儀と続き、休む間もなく、東京へ向けて移動するのだという。まさに強行軍である。
吉田選手は、栄勝さんについて、「レスリング一本の人。父の言う通りに進んだことが(五輪3連覇などの)成功につながった」と振り返っているという。
吉田沙保里選手は、2012年8月にロンドンオリンピックで五輪3連覇の偉業を達成し、同年11月に国民栄誉賞を受賞した。
その直後、2012年12月、吉田選手と父の栄勝さんは、中学校に凱旋報告に行った。そこで全校生徒からの万雷の拍手を浴びた。母の幸代(ゆきよ)さんも一緒だった。
そのとき、彼らは、どこの中学校に行ったか。三重県の吉田沙保里選手の出身中学校ではない。
行ったのは、青森県八戸市の吉田栄勝さんの出身中学校だ。八戸市立湊中学校へ行ったのだ。
なぜ出身高校でなく、出身中学校なのか、言い出しっぺが吉田栄勝さんなのか誰なのか、等々詳しいことは、津軽のシニアブロガーには分からなかった。
その当時、八戸市立湊中学校への凱旋報告を報道する、青森県の地元テレビのニュース画面を観ながら思った。お父さんは、よほど嬉しかったろうし、吉田沙保里選手は、お父さん思いの心優しい女の子だ。実にいい親子である。
吉田選手の父の吉田栄勝さんは、青森県八戸市出身で、八戸市立湊中学校から八戸電波工高(現・八戸工大一高)に進学。同高校在籍中は、レスリングで何度も全国制覇し、海外遠征にも派遣されるなど、活躍した。
吉田栄勝さんは、高校卒業後も、レスリング選手として活躍し、レスリング全日本選手権の優勝経験があり、あと一歩のところで五輪出場を逃したほどの名選手だった。
吉田選手は、三重県の自宅で子どもたち相手のレスリング道場を開いていた父の指導に基づき、3歳の時からレスリングを始めた。吉田栄勝さんは、吉田選手に、小さい頃から、徹底的に必殺の高速タックルを教え込んだ。
吉田栄勝さんの物の言いぶりは、何度かテレビで観たことがある。彼は、青森県の南部地方に住む南部衆以上の南部弁つまり八戸弁なのだ。
南部衆もビックリの南部弁。吉田栄勝さんは、八戸市に住んでいた高校生の頃までと寸分違わぬ南部弁のままで、その後もずうっと生きてきた、と見た。
それが吉田栄勝さんのアイデンティティーなのだろう。ましてや、彼は、体育会系の人間だ。その辺のところは大いに理解できる。吉田栄勝さんという人間にとって、生まれ故郷の八戸は、すべての原点なのだろう。
青森県の地元紙、東奥日報は、3月12日、「吉田選手父・栄勝さん死去悼む声」と題する追悼記事を掲載した。
その中に、2012年12月、吉田選手と父の栄勝さんによる八戸市立湊中学校への凱旋報告時の写真がある。吉田栄勝さんが先導し、金メダルを首から下げた吉田選手が続く。それを湊中学校の生徒が称賛している。
写真の説明記事曰く。五輪3連覇を達成、国民栄誉賞を受賞した沙保里選手と共に自身の母校・湊中学校を訪れた栄勝さん(左)。栄勝さんが「お世話になった湊地区にお礼したい」と申し出て報告会が開かれた=2012年12月7日、八戸市の同校体育館
この記事を見て、湊中学校への凱旋報告は、吉田栄勝さんが「お世話になった湊地区にお礼したい」と申し出て報告会が開かれたということが分かる。吉田栄勝さんは、ご自身のすべての原点である八戸市に、そして湊地区にお礼したかったのだ。
この報告会が行われた2012年12月の前年の2011年3月11日、東日本大震災が発生した。太平洋に面する八戸市は、湊地区を含め、甚大な被害を受けた。
吉田栄勝さんは、沙保里選手を連れて凱旋報告をすることで、「お世話になった湊地区にお礼」するとともに、東日本大震災の被災地・八戸市の被災者に元気と勇気を与えようとしたのだ。
そして、時あたかも、東日本大震災から3年の2014年3月11日。吉田栄勝さんは、三重県で、生まれ故郷の八戸のこと、湊地区と湊中学校のこと、八戸で暮らす兄弟縁者のこと等々、思い浮べたはずだ。
しかし、その日、吉田栄勝さんは、無情にも、天国へ旅立たれた。
今は、吉田栄勝さんの在りし日をしのぶばかりである。合掌。
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