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たかが一人、されど一人

思考能力欠如 

2014年06月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

「兎に角今週1週間くらいは、いつものように可も無く不可も無く健康で過ごしたい」が日曜日の就寝時に思うこと。あと毎朝起きると「今日もいつものように過ごせれば良いな」程度の話で、ものを深く考える必要のない毎日である。新聞やテレビは毎日見るが、大部分のニュースは見たり読んだりしたそばから忘れていく。特に、婆さんにいつも笑われるのだが、子供が不幸な事件に巻き込まれて死んだといった類のニュースは出来るだけ重ねて見ないように心掛けている。そんなことからか、最近とみにテレビでニュースを見る時間が減ったみたいだ。少し前までは、夜9時のNHKニュースを30分は見るように努めていたが、どうも最近は、これが何故トップニュースかと疑問を感じることが多くて、早々に歌謡番組に替えたりすることが多くなっている。土日の朝に集中しているいわゆる社会情報系のスタジオ番組も年齢のせいかつまらなくなってきた。興味があると強いて言えばTBS「サンデーモーニング」のスポーツコーナーくらいかもしれない。しかしこれも9時5分過ぎに出掛ける習慣なので最後まで見たことが無い。新聞も読むのは朝日だけだが、読むところが少ない。せめて1面だけはざっと読むことにしているが、テレビと同様で1面トップになんでこれがと思うような記事が出くわすことがしばしばである。世の中の変化に興味や関心が薄れてくるのは年寄りの証拠だろうが、脳にインプットされる事柄少なくなっているので、当然の成り行きとして考えることが少なくなる。先ほどネットを見ていていい言葉が見つかった。安倍昭恵総理夫人が聞いたことが無い雑誌の『octo∞』(オクトアクティブエイジング)のインタビューに答えて、次のように言ったそうだ。「大学院では、自分の頭でものを考えなくてはいけないということを学びました。考え方が違う人たちと出会ったことは大きかったですね。主人とは真逆の考えの人たちもけっこういました。以下省略・・・」彼女は2011年に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学。修士論文「ミャンマーの寺小屋教育と社会生活─NGO寺小屋教育支援─」で、修士号を取得しているそうだ。彼女のことはどうでもいいのだが『自分の頭でものを考える』については改めて考えさせられた。世の中に興味を失うと自分で考えることが面倒くさくなりはしないか。特に食事なんかも女房任せにしているので、あれを食いたいこれも食いたいなんてことすら考えなくなったらヤバイな。社会現象は別にしても、せめて囲碁でもしっかり勉強して、自分の考えと他人の考えの相違を検証する習慣を維持すべきだ。囲碁が老化防止に役立ってくれればいいのだが。

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