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たかが一人、されど一人
読後感「責任 ラバウルの将軍今村均」角田房子著
2014年06月13日
テーマ:テーマ無し
大正3年生まれで、女学校卒業後フランスのソルボンヌ大学留学中に第2次世界大戦の勃発で一旦帰国を余儀なくされ、戦後になってから新聞記者の夫共に再渡仏してノンフィクションライターになった著者の作品は、近代日本と外国との関わりや先の大戦を冷静に見直す作品が多い。この作品も旧陸軍の将軍を取り上げたと言う意味では、フィリピンで刑死した本間雅晴と終戦翌日陸軍大臣として自決した阿南惟幾に継いで3人目となる。前二者についてはかなり前に読んだ記憶があるが、今村については記憶が無いので手に取った。今村は士官学校で本間と同期、阿南の3年後輩。今村がこの二人と決定的に違うのは、終戦後戦犯として昭和28年まで9年間現地での捕虜生活を送り、日本に戻されて28年から巣鴨拘置所に収監、翌29年の11月に出所してから43年(1968年)に亡くなるまで、戦後の日本社会の変化を見届けたことにある。著者はこの作品を昭和もだいぶ遅くなっての59年(1984年)に発表しているが、執筆に3年の歳月を費やしたと述べている。その間の取材は非常に綿密で膨大であったことが伺える力作である。著者はこの作品を通して語ろうとしているのは、戦争指導の責任にあった一人の陸軍の高級将校今村個人の問題意識・倫理観・死生観を掘り下げることは勿論だが、それ以上に戦争のメカニズムがそんなものとは一切関係なく、如何に悲惨な結果を将来せざるを得ないかについて述べたかったのではないだろうか。今村は歩兵将校として昇進しながら朝鮮・満州を経て南洋ジャバ島へから第8方面軍司令官として、ラバウル島で陸軍兵7万人のトップとして終戦を迎えている。ラバウルと言えば海軍や山本五十六司令官がすぐ思い浮かぶが、陸軍も7万人を擁して巨大な基地であったようだ。連合軍はこの海軍と陸軍も、航空隊に対しては決定的に壊滅を図ったが、基地そのものは手間暇かけて潰すよりスルーして本土に迫る道は他にあるとの作戦だったらしい。ただ出先の部隊がが置かれたガダルカナル島等の戦略拠点は徹底的に叩かれ、撤退すら思うに任せぬ全滅に近い悲惨な状況になったことはよく知らている。それが即ち戦争のメカニズムであろうが、兵がその何処に配属されるかは運命としか言いようがない。本書では今村個人より配下の兵員についてかなり突っ込んだ取材があり、日本兵が如何に虚しく犬死に近い死を遂げたが詳しく記されている。今村個人は将官としては珍しい中学校出身であることから、幼年学校上がりの将官と比較すると明らかに知的とか優しいと評価されている。事実戦陣にあっても歎異抄とか聖書を好んで読書していたくらいだから、理性派であったのは間違いないだろう。しかし、戦後有名になった戦陣訓「生きて虜囚の辱を受けず」は、どうも今村が昭和15年教育総監部本部長だった時代に起案したものらしい。てっきり悪名高い東条英機の発想かと思っていたが違うようだ。今村も内心どう思っていたか知る術はないが、戦争に負けたことは遺憾であり、戦死した部下将兵への責任を痛切に受け止めて、生涯一貫して深い反省の中に生きたことは間違いない。自衛のための軍備は必要ではあるが、再び戦争はすべきではないとも言っている。性格的なこともあるだろうが、生涯どんなに評判が悪い同僚に対しても個人的に悪口を言ったことが無いらしいし、戦争責任論について決して語らなかった。これは軍人として当然であろうが、著者が言いたいのは戦前の日本社会のメカニズムで、日本は先ず国家があり、その中に家があって、家の中で初めて個人が存在していたことだろう。これを国体として、幼いころから精神に刷り込む教育が行われた恐ろしさを見事に描き出してくれた。
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