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平成の虚無僧一路の日記

側室の嫉妬心に呪われた牧原家 

2014年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



柴田錬三郎が、昔わが家の先祖のことを書いて、TVドラマにもなった。その原作『妬心』を私は30年探し続けた。古本屋を見ると探しに入ったも のである。父の七回忌の墓参りをしての帰り、今日こそ見つかるのでは との気がして神田の古本屋に立ち寄った。「アッタ!」感動で打ち震えた。 仇(かたき)を 探しあてたようなものである。 会津藩三代目藩主正容の時、側室を家臣に払い下げるという事件 が二度あった。一度目が「上意討ち」の笹原伊三郎の倅へである。二度目 が神尾八兵衛に下げ渡された「おもん」であった。おもんは気性が激しく 殿の嫌気をかって、国元へ帰されたのであるが、その時の側用人が、当家 の祖牧原只右衛門であった。おもんは差配の権限を持つ側用人牧原只右衛 門を恨んで呪詛した。そして『妬心』の最後は「牧原只右衛門の家は次の 代になってつぶれた」となっている。
柴田錬三郎はこの話をどこから調べたのか、出典を調べているのだが、 わからない。
 

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