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朱鷺の“人生七転び八起き”
与えられたものを、もとに戻す
2014年08月22日
テーマ:テーマ無し
死の数日前に彼はこう述べている。「過去70年もの間、あの膨大なエネルギー、膨大な英知がこの身体を使ってきました。そして今その身体はもう耐えられません。何がその身体を通り抜けたのかを誰も知りません。このような別の身体を見つけたり、または身体の中で作動するその卓絶する英知を見つけることは、今後百年誰にも出来ないでしょう。」『クリシュナムルティ 人と教え』p65(「クリシュナムルティの生涯」の章) より引用これは私(マインド)が助手席に座り、操縦席は「膨大な英知」に、明け渡している状態の記述なのではなかろうか。操縦席にいるのが「身体の中で作動するその卓絶する英知」なのだと。こうなると、いちいちの事象に対して、私(マインド)は、無力のまま、見ているしかない。起きてくること、為していること、それは自身の経験と呼んでいるものですが、見ていること以外、何も出来ないのに、それなのに。私(マインド)は、自身が操縦席にいる。と思い込んでいる。それが私たちの日常にあるもので。そうなのに、それに気づかないのが、私たちであって、それに気づくのは「何がその身体を通り抜けたのか」の記述。英知が操縦席にいてくれるのだと知ったとき、私たちは、安心して、その手に自身の人生を任せられる。つまりは「膨大な英知がこの身体を使ってきた」の記述に、それは、みてとれる・・・かな〜と。最高で優秀なドライバーに乗せてもらっていることに、安心しているから「あーのこーのと不満」になることもない。長く短い人生と言うドライブを、英知に任せて、ワクワク楽しめばいいのに、時には横からハンドルに手をかけて、叱られて〜「これは私の人生だから、自分で操縦しなければならないーー」とごねてみる、みたいな。社会が作った世界から、自分に主導権を戻し。戻した主導権を、もともとの持ち主に戻す。そして・・・モノゴトの本当の意味は。本当には、何が起きているのか。私たちは、終わってから気づく。私が、何者だったのかは、終わってから気づく・・のでしょうか。
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