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人生いろは坂
一日の始まり
2014年09月24日
テーマ:テーマ無し
私の一日は夜明け前の3時か4時ころから始まる。睡眠時間は6時間から7時間、年齢からすると普通かもしれない。
早いときは8時過ぎやら9時過ぎに寝るものだから妻からはブーイングである。晩酌は350ミリリットルの缶ビール
一本と最近では日本酒かワインを小さなコップに七分目位。これだけで夕飯後はソファーで自然に居眠りが出始める。
夜のテレビ番組で9時以降のものはほとんど見ていない。全ては録画である。こんなわけであるから夜中に目が覚めて
しまうとなかなか寝付かれない。あれこれと考え始めると取り留めもなく思い出されてメモでもしておかなければ
とても覚えてはおられない。忘れていたこと、新しいアイディアなど思いつくことは多々ある。
そしてついに目が覚めてしまうとパソコンの前に座る。時として早朝にメールを送ってしまうものだから妻に叱られる。
「こんな時間にメールして・・・」携帯の着メール音で幼い子供たちが目を覚ましてしまうと言うわけである。確かに
枕元に携帯があればそうかもしれない。
こうして約一時間か一時間半ほどパソコンの前でメールを見たり返信したり、ニュースを読んだりして過ごす。むろん
この時間にブログも書くしフェースブックに目を通すこともある。
真夏であれば4時過ぎには外が明るくなる。やおら作業服に着替えて植木鉢に水やり、畑の散水などを行う。時には
草刈り、秋口になると大汗をかきながら畑を耕して種を蒔く。秋冬野菜の準備だ。耕運機もあるのだがここのところ
ほとんど使わない。と言うより使えない。畑が狭すぎて一挙に耕すことがないからだ。
昔から山の畑はスコップで耕していた。今もその習慣が付いている。しかし、スコップで掘るのには限度がある。
何しろ体力勝負だからだ。若いころは体力に任せて山の畑を開墾したのだが今はそうはいかない。
さて、こんなことをこれから先いつまで続けていけるのだろうか。何とか体を使わないで作る方法はないだろうかと
探求している。その一つが自然栽培だ。無農薬は何とか達成した。ここのところ重い農薬の入った容器を持って消毒を
することはなくなった。畑で作るものもあれやこれやと作るのではなく極力、限られたものだけを作るようにしてきた。
体力がない、時間がないと言う私にとって手抜き農業しか手がない。しかし。手抜き農業もやがて限界だと言う日が
来るに違いない。専業農家ではなかったが、専業農家でなかったが故に、ありとあらゆる果樹や野菜を作ってきた。
その経験は貴重な経験として残っている。またホームページにも書いている。
平凡ながら、こうして日々を繰り返し送っている。先日は久々の雨だったが今少し大量に降って欲しかった。車で
倉敷までの良き帰り大きな道の両側は広大な田んぼである。既に花の時期は終わり稲穂が重たげに頭(こうべ)を
垂れている。心なしか稲全体も色付き始めている。今年はウンカの害もなく豊作のようだ。豊かな実りの秋である。
温暖化だ何だかんだと言われながらも繰り返す季節に大きな変化はない。何も知らずに過ごした日々が懐かしい。
そして、その方が幸せだったのではなかろうかと、ふと考えてしまうことがある。人間は知識を得たばかりにあれや
これやと心配事が増え、その分、悩みも多くなった。何も知らなければ、あるいは悩むこともなかったのかもしれない。
ただただ日々を精いっぱい送る日々の方が幸せだったのかもしれない。幼い日々のことを思いだすたびに考えることである。
知識を得ることとは一体何だろう。
全ては般若心経に説かれているように幻想で夢幻(ゆめまぼろし)なのかもしれない。自分で作りだした幻想や夢幻に
振り回されて一喜一憂しているだけかも知れない。そして一生、固定概念と言うものに縛られて不自由な一生を終える
のかも知れない。なれるものなら心を解き放ち自由な生き方が出来るようになったらどんなに幸せであろうかと思うのである。
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