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昭和2年生まれの航海日誌

戦初めの上京(2) 

2014年11月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 新大阪で列車に乗り込み、二人並んで座席についた。
 「やれ、やれ」 息を吐くように言うと、
 「これからだよ」と諭された。
 そうだ、東京行きの列車に乗っただけのことである。

 ボトルを2本出し、弁当を食べ始めた。
朝の食事は撮っていないのだ。いや、眠ってもいないのでは
なかろうか。

 快適に走り続ける列車の中では、殆ど話をすることもなく、
車窓に映る景色を眺めていた。

 新横浜を過ぎた頃
 「昼食を済ましてから、チェックインをしようか」
 「荷物を預けてから、外に出よう」
 普通なら、軽い論争も起こるところうだが、これは避けた。

 「ホテルオークラ東京」が予約してあった。
 荷物の預かりをつげると、
 「少し待ってください、部屋をあけますから」と云ってくれた。

 時間外で、この扱いは有り難かった。その後も何かにつけて
便宜を計らってもらった。従業員のみなさんの誠意が心底まで
突き通った。
 さすが「五つ星」

 上野に出た。遅めの昼食は「立ち食いのすし屋」だった。
 最初に口に運んだ時、
おや、優しい当たりだなあ、と感じた。

 外に出ると、弱い雨が降っていた。大阪を出るとき予想を
していたとおりになった。

 何処に行くのか、任せきり、浅草へ来たようである。
 東京スカイツリ―の傍に立っていた。

 「登る」と云う
 「子供みたいに、止めておくよ」と云うたが、連れらていかれた。

 暮色に皇居がやっと見える程度で、隅田川、荒川はすっきり
見えた。

 この様子を娘は、しきりにシャッターを押していた。
 降下の時間も長かったが、一つの事だけを考え込んでいた。

 バスの乗ったかと思ったら、浅草寺に向かっていた。
 「雷門」へ行くいったが、立ち止り行きたくないといった。

 暫くして、自分も歩きだした。娘と会い雷門まで一緒に歩く。
 東京みやげに貰った “雷おこし”のところだなあ、遠い子供の
ころの想いがかすめる。

 帰り道、まだ夕食には早かったが、ここでは有名天ぷら屋へ
寄った。
 正直言って、天ぷらはあまり好きではない。
 でも、聞きしに勝る美味しさ、みなおした。

 腹一杯に堪能して、電車のっていると、何故、あまり喜びも
しないのに、こう連れまわすのだろうか、と考え込んだ。

 酒を飲み、たばこも吸う、北海道、三重、高知、鳥取、山口、と
...

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