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人生いろは坂

地球一周の旅から10年(8) 

2014年11月15日 外部ブログ記事
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 シンガポールを後にした船はマラッカ海峡を抜け更に南下しインド洋を航海していた。目指すのはアフリカ大陸、
その前に立ち寄るのがセーシェル諸島。

 シンガポールから船に乗ってきた水先案内人が三人とジャパングレースが招待したゲストが一人いた。水先案内人
三人の内の一人がピースボートと劇的な出会いをし、以来、特別ゲストとして招待するようになったと言うピーター
バンド。名前の通り元ボクサーだったと言う異色の人物ピーターをリーダーとするバンドグループだ。ケニア人三人で
構成されたジャンベの演奏チームだった。更に一人は私が水パとなった女性講師、そして今回紹介しようと思っている
佐々木亜希子と言う女性活弁士だった。

 シンガポールからケニアまでの航海はいっぺんに賑やかになった。それぞれの講師の水パになったものが連日
ワークショップのために船内を行き来し始め、次々と新しい企画が三陸七海に掲載され始めたからである。
ピーターバンドのショーが行われ、講師を囲んでの講座が始まった。そして何度となく活弁なるものが行われた。

 女性歌謡歌手の元には連日、演歌好き、カラオケ愛好家たちが群がった。この頃、船内では第一回目の「のど自慢
コンクール」が行われた。そして私も演歌で出場した。船上での「のど自慢大会」は旅行中に二度あったのだが
二度とも鐘三つですっかり有名人になってしまった。その後に乞われてカラオケ教室の歌唱指導までするように
なってしまったのである。

 息継ぎの仕方も腹式呼吸もきちんと勉強したことのなかった私がカラオケの歌唱指導などすることになろうとは。
その後、そのプロ歌手が指導者となって教えてくれた歌謡教室で息継ぎや腹式呼吸の仕方を正式に勉強することに
なった。彼女のショーで彼女とデュエットしたこともあった。

 また、水パとなった女性講師の講座や公開ディスカッションの場では大勢の人の前で司会進行役を務めたことも
あった。こうして一躍有名になった私は船内新聞の「三陸七海」の人物紹介の欄に掲載されることにもなったのである。

 実はこの頃、一番人気のあった企画が活弁であった。会場に詰めかけたものは、その面白さにすっかり魅了されて
しまった。私自身も前々から興味を持っていた活弁だったので、どんな人物がどんな語りを見せるのか興味深々であった。
そんな時、私達の前に現れたのが、うら若き美女だったのである。その美女の口から飛び出してくる大仰ではなく
淡々とした語り口に再び驚いた。私が長年想像していたものとは全く異なる活弁だったのである。

 活弁に関するイベントが開かれるたびに連日、押すな押すなの大盛況となり、とうとう会場では入場制限をしたり
何度かに分けて開催することになったくらい人気のイベントだったのである。当然のことながらにわかファンも出てきて
ワークショップを開くことになった時には大勢の水パが会場へ詰めかけた。活弁と言う言葉すら知らない世代の若者が
多かった。

 この第一回目のワークショップで一躍人気者になったのが私たち夫婦だった。私が一番初めに手を挙げてスクリーン
のワンシーンを活弁調で語り、負けじとばかり二番手で手を挙げたのが家内であった。それまで緊張気味だった会場は
その奇妙な夫婦の取り合わせに大笑いとなり、それまでの緊張がいっぺんに解け、以来、会場は和やかな雰囲気となり
その日のワークショップは終了した。

 実は佐々木亜希子弁士の水パ仲間では自分たちが一番に手を上げようと言うことだったらしい。ところが水パではない
私が手を挙げたものだから水パにしてみれば、してやられたと言う感じだったらしい。そこで水パとなっていた家内が
負けてはおられないと手を挙げたので、活弁の水パ仲間の間では「やった」と言うことになったのではないだろうか。

 残念ながら私の場合は、所属していた他の講座の水パをしていたので時間の都合上、それ以上続けることが出来ず
活弁をやりたかったと言う欲求不満が残り、帰国後の活弁シネマライブを開催することになる起爆力となったのだが。

 洋上遙かに浮かぶのはセーシェル諸島だった。太平洋の真珠と称される常夏の国であった。長くイギリスの植民地
だった国であり、今もでイギリス連邦加盟国である。船が錨を下ろした港もイギリスの女王であったヴィクトリアから
付けた名前であるヴィクトリア港であった。島の中にはイギリス統治時代のものが数多く残されていた。

 一時は日本から飛行機の直行便もあったそうで、その頃は新婚旅行のメッカでもあったようだ。サンゴ礁と白い砂に
囲まれたとても美しい島であった。青く透き通った海、その上に広がる青く晴れ渡った空、その中ほどにぽっかりと
浮かぶ小さな島、そして熱帯植物の木陰、広く白い砂浜、全ては夢の世界のような美しさであった。

 セーシェルでの滞在はわずかに半日ほどであった。しかし、その半日は久々の上陸であり、船内で親しくなった仲間達と
一緒に砂浜へ出かけ海水に浸かった。足元を魚の群れがすり抜けるように泳いで行く。美しいだけでなくここは豊かな
海だったのだ。

 昼食は、みんなに勧められるままにあるレストランへ入った。ところが注文して出てきた料理の量が半端ではなかった。
すごいボリュームなのである。街歩きをすると周辺の人達のほとんどは黒人だった。その夜、船内で行われた歓迎の
ショーでは島の娘たちが踊りを披露してくれた。美しい女性が多い。どうやら長年のイギリス人との長い混血の中で
生まれたらしい。

 このうら若きスタイルの良い美女たちも、いつかは街で見かけた見事な体格の叔母さんたちのようになるのだろうか。
この街はまるで時が止まったような街だった。人の動きは緩やかで、いつまでが休憩時間で、いつからが仕事なのか
判別が付かないくらいゆったりしていて、生きていること自体を楽しんでいるように見えた。市場は豊かだったが
多くのものを輸入に頼っているらしく、魚や青果物は新鮮なものが多く、この島の中で作られているようであった。

 生きていくことだけを考えれば、この島のような生き方もあるのかもしれない。そう思わせる島の人々の生活だった。
島には季節に関係なく南国のフルーツが豊かに実り、舟を出せば魚は簡単に獲れる。そんな自然のあり様が、この国に
住む人々の心を豊かに大らかにしているのかも知れない。大変治安の良い国でもあった。

 船はセーシェルを出発し、いよいよケニアに向かう。

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