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人生いろは坂
地球一周の旅から10年(13) ナミビア共和国
2014年11月25日
テーマ:テーマ無し
トパーズ号は喜望峰南端を大きく迂回して南アフリカ共和国の隣国であるナミビアに向かっていた。この辺りは
先にも紹介した南極から北上してくるベンガル海流によって実に豊かな海となっている。海洋生物の餌となる魚類が
多い。日本からも遠路はるばるこの地へ来て漁業をしている船も多いらしい。
船がナミビアに近づくと沖合はるかに延々と続く砂丘が見え始めた。まるで蜃気楼を見ているような眺めだった。
全く予備知識のなかった私としては驚くべき光景であった。海までせり出した小高い砂丘はまるで壁のように見えた。
その頃からにわかに海の中が騒々しくなった。良く見るとイルカの群れのようである。その姿こそはっきり確認
することは出来なかったが、明らかにイルカの群のようであった。それからしばらくすると速度を落とした船べりに
南アフリカオットセイたちが、私達をもの珍しそうに見上げながら近づいてきた。
ここのアシカたちは船が近づくたびに、このようにしているのだろうか。その様子がとても動物とは思えないほど
人なつっこい。腹を見せて手を振るなど私達の訪問を歓迎しているとしか思えない。
船はさほど賑わっているとは思えない閑散とした港へ入った。周辺はおおよそ客船が着く港とは思えないほど
殺風景で、どうやらこの港の主たる業務は鉱物資源などの積出港のようであった。ケニアで受けたような歓迎も
何もなかった。実に静かな入港であった。
この日選んだオプショナルツアーはナミビアの砂丘を見物するツアーであった。幾つかの砂丘を巡り、昼は
スワコプムンドという街での食事だった。猿の惑星の撮影に使われたと言う何億年か前の地層がそのまま残って
いる地域一帯はここだけ見せれば他の惑星と言っても良いような岩だらけの殺伐たる景色であった。
ところが驚いたことに、こんな荒れ果てた岩だらけの谷の奥に人が住んでいたこともあるとのことであった。
そこだけは周辺と全く異なり木々もあり生活の痕跡も残っていた。この谷底のような場所にはわずかながらも
水が集まってくるようであった。
砂漠の国であるナミビアもここへ住もうと思えば水は必要だ。年間の降水量が極端に少ないこの地域一帯では
生活に必要な水は300メートルも地下深くから汲み上げなければならないとのことであった。昼食と休憩の
ために訪れたスワコプムンドという街も緑地帯は地下水に維持されていた。
ここへ着く前に半ば干からびたような小さな川が流れていた。しかし周辺には葦のような草も生えていたし
川の中には水草のようなものも見られた。雨が極端に少ないと言うこの国にも幾分かのうるおいはあるようだ。
ナミビアの砂丘は大小様々だ。サラサラのきめの細かい砂がうず高く堆積したものだ。砂は滑りやすく容易に
登れない。私は登るのを諦めてその周辺の植物や動物の痕跡や昆虫の撮影に夢中になっていた。確かに砂漠らしい
奇妙な植物に満ちていた。
また、この砂丘の記録映画で見たフンコロガシもいた。これら植物や昆虫は水が極端に少ない環境で生きていく
ために、この地域特有の生態を有している。例えばフンコロガシは、夜になると海から内陸部へ吹き寄せてくる
霧を自分の体で受け止め、霧が冷えて凝縮した水を体に取り込んで生きている。従って、常にお尻を高くし頭を
低くした姿勢をしている。水が口元に集まるようにしているのだ。
葉か茎か見分けのつかない植物は、サボテンのように体全体に水を蓄えているようである。陸における緑の
サンゴの葉か茎か見分けのつかないものを広げている。この植物も砂漠にすむ動物たちにとっては貴重な餌であり
水を補給するための植物である。
また、和名を「奇想天外」とも言う「ウエルウィッツ」と言う植物は、芽生えてこの方、葉が入れ替わらない。
そのまま何年もの間、たった二枚の葉が伸び続けているのである。地中深く広く張った根でわずかばかりの水を
吸収しながら生き続けている。
この植物の周辺は砂丘すらない荒漠たる砂礫の荒野である。この中に点々と生えている。実に不思議な光景である。
この植物が松の仲間だと言うことを知っている人は意外に少ない。実はこの植物にも花が咲く。小さな松かさに似た
花である。この花の形を見ればなるほど松の仲間だと納得がいく。それにしても競争相手のいないこんな厳しい土地に
生きることを選択したこの植物は、他とは全く異なる進化を選択したようだ。まさに奇想天外である。
この広大な半砂漠地帯を有するこの国は、世界でも有数の鉱物産出国だ。遥か彼方に見える奇怪な姿をした山では
ウラン鉱石が採掘されているとのことであった。また豊富な宝石類の産出国でもあるようだ。また海岸近く一帯には
塩分が大量に含まれていて、そこから採取される赤い塩は土産物としても珍重されている。スワコプムンドのスーパー
マーケットの棚には、ごく普通に並べて売られていた。淡いピンク色をした潮であった。
海岸あたり一帯はフラミンゴの生息地だ。塩分の濃い海岸はフラミンゴの好むプランクトンが大量に発生するようだ。
この塩分の濃い海岸地帯一帯の街路樹はほとんどがヤシの仲間のようだが、その根元には白く塩が噴き出していた。
散水によって土中から沁み出してきたようだ。
このフラミンゴの生息地近くには瀟洒な民家が並んでいた。これら民家の多くはドイツ移民たちの末裔が住んで
いる家だ。この国は近年までドイツの植民地であった。手入れの行き届いたどの家の庭にもきれいな花が咲いていた。
これら緑豊かで美しい庭を維持するためには大量の地下水が使われているに違いない。そのためには膨大なエネルギー
が使われているに違いない。地下資源豊かなこの国にとって水もまた貴重な地下資源なのである。
ナミビア奥深く一泊の旅に出た人たちがいた。彼らの目的地はこの地よりもっと赤い砂で覆われた地帯であった。
海底から海岸に打ち上げられた砂は強い海風によって奥地へ奥地へと運ばれていく。その度ごとに酸化され赤くなる
ようである。海岸近くの砂丘の砂には点々と黒い粒が見える。これら全ては砂鉄のようだ。打ち上げられた時は黒くとも
長い時間をかけて次第に酸化され、赤い酸化鉄へと変わっていく。実は内陸部の砂丘が異常に赤いのはこの酸化鉄に
よるものだ。
さて、砂丘の真っただ中の晩さん会は実に豪勢なものであった。巨大な砂丘と砂丘の間に、実に大きな二重張りの
テントが忽然と現れた。今日の晩さん会の会場が準備されていたのだ。既に大きな炉では肉汁が垂れる大きな肉が
焼かれていた。テントの中には白いシーツがかけられたテーブルが設置され、これも白いカバーで覆われた椅子が
設置されていた。まさにアラビアの王様になったような気分であった。
次々と食べきれないほどのご馳走が運ばれてきてワインなどの飲み物も飲み放題であった。すっかり癒された私達は
酒に酔ったほてりを醒ますためにテントの外に出た。早速、大きな集まりがあちこちに出来、オカリナの演奏が
始まった。歌が出てハーモニカが持ち出されにわかに賑やかになった。
砂丘の上には大きな月が出ていた。誰からともなく「月の砂漠をはるばると・・・・」と「月の砂漠」の歌が
歌われ始め、ついにはみんなで大合唱となった。はるばる来てこんな砂漠の国でこんな歓迎を受けようとは思っても
みなかったことであった。みんな感動と感謝の気持ちでいっぱいであった。こうして砂丘の夜は更けていった。
さあ、いよいよ明日から再び長い長い航海が始まる。これから大西洋を一気に横断しブラジルのリオデジャネイロを
目指す・・・・。
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