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独りディナー
リトアニアで・・。
2014年12月06日
テーマ:ウィーンからの旅
リトアニアの首都、ヴィルニウスで開催された国際会議は、スワヴェックの親友のヨーナスさんが、主催者であった。
どんな時でも笑顔を絶やさないヨーナスさんだが、ソ連に併合されていたバルト三国時代の、リトアニア人としての矜持というのだろうか、生粋のロシア嫌いで、スワヴェックとも、お互いに流暢なのであろうロシア語は、決して使わない。
事前にセクレアリタートから、「白いピアノが、待っています」と主人にメールが来ていたので、チェコでの私の演奏を聴いていて、手配してくれているのだろう、とは思っていたけれど・・。
レセプションが始まる前、ピアノを見に行ってみると、白い装飾品の様なピアノがロビーに置かれていた。
ヨーナスさんは実に控えめな性格で、最初のスピーチの時も、ワイングラスをスープンで叩いて注目を浴びようとしても、中々喧噪はやみそうにない。
やっと、ドイツ人の一人が気づいて、グラスが割れそうに大きな音を出して、皆の注目がやっと集まった、という具合である。
食事が終わりかけた頃に、彼が私のもとへやってきて、「ピアノを弾いて貰うのには、丁度良い時間だろうか・・?」と訊いて、またもやグラスを叩いて私の紹介をしてくれたところで、多分殆ど人の耳には入っていなかった事だろうと思う。
それでも、私がショパンのバラードを弾き終えて、セクレタリアートのマルゲリータさんがくれた大きな花束と、ヨーナスがくれたリトアニアの美しい写真集は、きっと控えめな彼としては、遠い日本から来た私達に対する、最大の歓迎の気持ちだったのだと思う。
それから一緒に、テーブルを囲んでいたドイツの人達と、暫く音楽談義が続いた。
私が、極東からきた人間ながら、ウィーンの音大を卒業したんだと聞くと、ヨーロッパでもアメリカでも、接してくれる人達の態度が大きく変わる気がする。
さすが、音楽の都、ウィーンである。
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