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日々徘徊〜♪

韓国が茶道を世界文化遺産に申請? 

2014年12月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

と中国のネットで またもや炎上

しかし 日本も

「道」(どう)と言う概念がある?

心を極める武道、華道、茶道 形や型で真似できるものじゃない。

ワビサビもそのひとつ

この間北九州の 小倉城の日本庭園で 江戸時代の大名屋敷を


再現したもので、「礼儀作法のテーマ館」とのことで、


別名を小笠原会館というそうです。


庭園はそれほど広くはなく10分程で回ることができます。


小倉城を見学した後にここで抹茶を飲みながら


ゆっくりとくつろぐのもいいと思います。

この小笠原は 流儀で 流鏑馬も有名です。

その武士道の VTRを 観ました。 それはそれは

歩き方から 身のこなし 果ては 


食事の仕方からお箸の上げ下ろし まで事細かな 


礼儀作法を 観ました。

今は この作法を 観るのは専門の方でないと見れませんが

魚のさばき方まで それはそれは お作法が有り

凄いものを 見せていただきました。

茶道 とはいつからまたどこから来たのか

茶道の歴史 茶道のはじまり(平安〜室町時代)

遊びから始まった茶道の文化

唐から伝わってきたお茶は、初めは薬として、

次第に飲みものとして徐々に広まり、鎌倉時代後半になると、

武士階級の間で茶寄合や茶歌舞伎などお茶を用いた遊びが広まり、

だんだんとお茶の文化が日本に浸透していきました。

そして、鎌倉時代後半から室町時代にかけて、

村田珠光や武野紹鴎、千利休といった茶人によって、

今に通じる茶道の文化が形成されていったのです。

千利休は武野紹鴎の晩年の弟子として、若い頃からこれからの茶人として注目されてきました。
しかし、千利休は若い頃から独自の視点で茶道を変えてきたわけではありません。
千利休は茶道を完成させた茶人と言われていますが、実際に様々な功績を残したのは60歳を過ぎた頃からです。
今や茶道には数えきれないほどの流派がありますが、数ある流派の大本となっているのは千利休です。
千利休は自分の考える茶道を確立しようと動き出してから、わずか10年足らずで完成させた、偉業を成し遂げた茶人でもあるのです。

下記は 京都の在日のお茶の先生のお言葉です。

茶の葉(種)と茶文化は、中国から朝鮮半島や日本に伝来し、韓国では新羅の時代に花郎(エリート貴族)達が精神修行と礼儀作法のひとつとして行茶法を行ったのが茶道の始まりだとされております。 私は韓国の茶道に出会ったとき


日本の茶道には修行、芸術、礼儀、社交、遊興の要素が含まれておりますが、 閑珠流茶道では、禮・和・雅・楽 をモットーに、まず
礼節を重んじ、優雅で和やかに茶道を楽しみます。
ほんのひと時、日常の世事を離れ優雅な韓国抹茶の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。

韓国の抹茶道(礼法)はまだ浅く道途上にありますが「千里の道も一歩から」始まります。  私は韓国の礼節と美しさを茶道の中に表現したいと決心し、閑珠流を創りました。 祖国と在日の新しい民族文化として、また、未来は伝統となるよう、次世代に継承してほしいと切に願い、茶道教室「閑珠房」を開きました。
在日のお茶の先生が 発案されました。

矢張り韓国は 嘘つきだと証明されます。

先ず中国が発祥ですが 日本の武士道により 今のこの形に(先人利休)

が広められたのだと思います。

日本こそ 本当の茶道 海外には、 f

この禅と 道 そして

茶道 華道 広く一般に普及させました。

これはもはや文化で有り あの和紙と同じく

一般に広く 浸透するのが 

文化遺産だと思います。



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