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たかが一人、されど一人

日本人の宗教心 

2015年01月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

日本の政党には公明党があって、何故か自民党がこれを取り込み与党化している。公明党が創価学会なる宗教団体を基盤にしていることはよく知られているが、創価学会とは何ぞやと問われると答えられない。元々は日蓮宗の一派だったようでもあるので、仏教宗派の一つなのかもしれぬ。どの宗派であれ、仏教には教義が無いと言われているので、創価学会にも特別な教義は無いのかもしれぬ。何となく現世利益(それはそれで結構だろうが)を唱える宗教臭い。先日テレビのバラエティー番組で、坊さんと神主さんの特集をしていた。面白くて見入ってしまったが、教えられることが多かった。宗派を問わず仏教に共通する基本的な教えであるが、坊さんに求められているものは各人が精進に務め、仏になることを目指すことにあるようだ。神道にも教義みたいものは無いようであったが、坊さんとの決定的相違は、神主さんの務めが、神様になることではなくて、神様のメッセージを人間に伝えることにあるらしい。その他にも、神社仏閣の数(双方共に約8万程だったが神社の方が少し多かったと記憶する)とか、神主さんは殆ど世襲とか、俗っぽいことでも興味深い点が多々あったが、今回は意図と関係ないので省略する。日本人の宗教心については、宗教心が無いと言う人もいれば、否、日本人は宗教心旺盛だとする外国人の書いた本を読んだこともある。個人的には20年以上伊勢神宮に初詣を欠かさないし、盆や彼岸の墓参りぐらいはすべきだとの思いもある。これが宗教心だとすれば、日本人の大半ははかなり宗教心が旺盛とと言うことになる。そんな解釈の問題はどうでもいいが、さて仏教にせよ神道にせよ、信徒の生活について律するところが実に寛容であるのはご承知の通りだ。また他宗教他宗派と同居することにも寛容で、一般家庭での仏壇と神棚の同居は勿論、我が故郷の善光寺は一つの本尊を天台宗と浄土宗2宗派の坊さんが崇め奉って守っている。果たしてこれが宗教なのかと考えてしまうが、宗教なんて所詮人間の頭で考えだされたものと考えれば、この程度の曖昧さがあって当然で、却って有難く思えてくる。ただ、日蓮さんと言う方だけは少し特殊で、他宗派をケチョンケチョンにやっつけたらしい。先日のテレビバラエティでも、日蓮宗の坊さんだけは他宗派とお経を上手く唱和出来ないところがあったので、現在でも少しはその傾向があるのかもしれぬ。話が逸れたので本線に戻りたい。最近の報道で大騒ぎになっているイスラム原理主義についてである。イスラム教について知っていることは殆ど無いが、どうも察するに信者の生活を事細かに律しているようだ。そんなに窮屈な宗教が何故信徒が拡大したのか不思議だが、それはそれなりに有難いこともあったのだろう。これも曖昧、生半可な知識だが、どうもユダヤ教・キリスト教・イスラム教は根っこが同じで、日本的に解釈すると、伊勢神宮末社と出雲大社末社の氏子集団が、武力まで行使して勢力争いをしてきたような歴史があるように見える。日本の場合は上手い具合に天照大神と大國主大神と、神様が別だから喧嘩にならないが、彼国のでは「神」が同じで一人しかいないので、厄介なことになっているのかもしれぬ。メッセンジャーがキリストであったりマホメットだったりするのだろうが、お互いいがみ合う必要もないと思うのだが、2千年以上もいがみ合う理由が分からない。友人知人にいろいろな宗教家や信者がいるので、時々興味深く話は聞くが、どうしてもその辺のことは分からない。公明党のことから義務教育における宗教教育問題の必要性に触れたかったが、全く別次元の話で終わってしまった。言いたかったのは、頭の柔らかいうちに宗教全般について何らかの教育をした方が良いと思っていることである。

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