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廿日市天満宮 本陣 

2015年02月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

廿日市天満宮

廿日市天満宮は鎌倉時代の承久2年(1220年)に藤原親実公が嚴島神社の神主として鎌倉幕府より任命され、廿日市の桜尾城に着任の後、天福元年(1233年)に守護神として鎌倉の荏柄天神を勧請したのが始まりで、その後、八幡神社、新宮神社を合祀して廿日市の氏神となりました



廿日市天満宮


大阪、越中などの商人が奉納した玉垣








撫で牛





多種多様な狛犬
元治元年(1864)明治の四年前
















胡子神社

小型の出雲構え













明治四十年奉納      








                                            

 










浪速型 奉納年不明
















この対が廿日市で一番ふるいかも







本殿
上の境内は狭いです







  
  狭い所に正覚院というお寺もあります


展望台?





 
神社の山はかつて篠尾城という城でした


   宮島を望む

神社正面□の場所に廿日市本陣がありました。

本陣は空き地(旧廿日市中央公民館)の東側の道と細い道との間、南は海岸までと推定される広大な邸で、18室を備えた堂々たるものでした。




本陣は寛永期(1624〜43)に設けられ、中世より
鋳物師として活躍した山田家によって代々経営されました。



本陣は慶応二年(1866)の長州の役で焼失。
その後再建はされませんでした。



以前はこの石碑がありましたが見当たりませんでした。




本陣のすぐ後ろまで海でした。
現在は国道2号線が通り小さな港が残っています


西の展望

東の展望
手前の緑の丘は桜尾城跡
平に削られて城の様相はありません。
かつては海に面していました。
奥の小山は海老山城跡

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