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「プラザ合意」が転換点だった・・・ 

2015年03月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


「プラザ合意」が転換点だった・・・1985年に「このままだとアメリカ経済が弱体化する・・・」と危惧したアメリカ政府がNYのプラザホテルに日本を含む先進国の財務大臣等を集めて、為替の調整での協調介入を決めました。それが、いわゆる「プラザ合意」と呼ばれる出来事です。どんな協調介入かと言えば、「ドル安是認」です。アメリカはこれによって貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」を解消しようと図ったわけです。1985年・・・当時私は大学生で、そんな経済の仕組みのことなど知る由もなく、何もわかっていないときでした。 何もわからないまま、ただテレビや新聞で報道される表面的なニュースを信じて、肌感覚で何となく景気がいい・・・そしてこの状態が当たり前だ・・・と感じていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・プラザ合意の狙いは、ドル安誘導→アメリカの輸出競争力強化→貿易赤字削減・・・であり、その結果円は1ドル240円→120円と半分になりました。 半分というのはドルから見たときの話で、円で見れば240円で1ドル → 2ドルと  2倍の価値になったわけですから、輸入品は安く入ってくるし、海外旅行へも安く行けるようになったし、それまで持っていた円の価値は国際社会(ドル相場)で2倍に膨らんだということを意味します。思えば、私が人生初の海外クルーズ(船旅)で旅行したのもこの時期でした。まあ、簡単に言うと日本はお金持ちになれた!ということでしょうね。 プラザ合意が一つの日本経済の転換点だった・・・と言われていますし、実際に翌年1986年が日本のバブル経済の始まりだ とも言われています。1988年に私が証券会社に入社したときは、まさにバブルのピークと言って良いような日本中が財テクブームで踊らされているときでした。行き場を失った円マネーは、結局株式や不動産やゴルフ会員権などにまわって次々と値段を釣り上げていきましたが、お金ジャブジャブの背景にはアメリカの財政を救うためのプラザ合意という出来事がきっかけだったと言えます。そうしたことは、今だから・・・後になってから多くの評論家が唱えることであって、その渦中で唱える人は誰もいないところが時代を読む難しいところだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・今起きている出来事にどんな重要な意味があるのかを「今」知ることは難しい ことだと思います。気づくのは数カ月あと・・・数年後になってからかもしれませんが、気づけるのはまだマシです。気づかないまま時代に流されていってしまうと、どこかで手遅れになり、厳しい経験につながるかもしれません。会社経営でも、日々いろんな出来事や動きがあります。それらの中にはたいした影響のないことも含まれていますが、中には後から振り返ってみたときに「あのときが転換点だった!」と言えるような出来事があるかもしれません。リーダーは、機に敏であり、先を読み解く力を身につけることが大切です。そのためにも、世間をよく知り、常に学ぶ姿勢を持つことが大事ですね。

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