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2015年03月30日 外部ブログ記事
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 Gaccoの新授業 「大航海時代の日本」


 1500年代、戦国の日本とヨーロッパの「接点」となったポルトガル人の来日、マルコポーロからザビエルの来日、「東方見聞録」からジパングの地図まで、15C-17Cの植民地における布教活動の役割等、第一週目の配信は興味溢れるものでした。

 フランシスコ・ザビエルはスペイン、バスク地方の貴族の子供として生まれパリ大学に学んだ。イタリアに滞在後、困難な大航海を乗りきり、インドのマラッカ、ゴアで布教保護権の下で活動、マラッカで日本人のヤジロウに出会うことから日本への旅に出る。

 1543年、ポルトガル語の出来たヤジロウを通訳として島津家の歓待を受け、その後「都」への旅に出る。10日間の滞在で失望の下に西国大名大内家に庇護される。ザビエル来日前の日本は倭寇(私的な民との密貿易)、勘合貿易(日本と民との公式貿易)が海外との交易の接点で、大名は大内家、細川家、商人は堺、博多が交易の中心的役割を果たしていた。ザビエルは来日後、宗教(石山本願寺)/政治(大内家)/商人(日比谷家)の庇護を求めて活動するようになった。

 イエズス会への「日本報告」の形をとったザビエル書簡はヨーロッパで大反響を呼び、生の日本情報として印刷本(1952年)まで出版された。ザビエルの日本での滞在は1949-1951と短いものであったが、ヨーロッパ、日本双方でその影響は大きなものであった。因みに私は堺の公立高校を卒業したが、近くにはザビエル公園があり当時の絶大な影響を忍ばせている。日々是好日。

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