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 防府天満宮 

2015年04月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

         防府天満宮 


    学問の神様、菅原道真公を祀った神社で、
京都の北野天満宮・福岡の太宰府天満宮と共に
日本三天神と称せられています。


道真公は九州への西下の途中、防府に立ち寄りすっかりこの地が気に入り、自分が死んだら魂となって帰ってくると約束します。
九州で公が亡くなった翌年(904)に、国司がこの地に松崎の社を建立し公を祀ったと伝えられ、日本で最初の天満宮として創建されたといわれています                         


         入口鳥居   


    長州藩初代藩主 毛利秀就が寄進
     山口県下では最大・最古


  寛永六年(1629)十月の銘があります

一の鳥居



ザ・萩狛犬
文久二年(1862)寄進
阿形の豪華な彫りの台座に対し吽形は地味です















吽形は小玉踏み





   一の鳥居後の対 


大阪の石屋中村屋で造られた浪速狛犬
宝暦九年(1759)寄進 防府市内最古
















古浪速は個性的


















楼門


神牛と楼門


春風楼
萩藩10代目藩主毛利斉熙(なりひろ)は社頭に五重の塔の建立を思い立ち、文政5年(1822)、地鎮供養の祈祷を行ったが、諸事情で中止になりました。


明治の初め、五重の塔の建築を断念し、楼閣様式の
お篭り堂に変更して春風楼が完成しました。














着工時、五重塔の一層軒下に使用する予定だった木組み


裏参道石段上の対
安政二年(1855)

















狛犬前より





正徳五年(1715)建碑の亀趺(キフ)



楼門 内側から
航空自衛官が屯


拝殿


拝殿前の青銅狛犬


















寛政改元春(1789)
治工
防府住
郡司木工允信規 郡司作蔵信之 父子
補修 昭和二十七年十一月
防府天満宮再建奉?会 
鋳造司大阪住 今村久兵衛清久


萩藩7代藩主毛利重就(しげたか)は、寛政元(1789)年焼失した社殿すべてを造営した。
拝殿両脇の青銅狛犬は、造営工事を司った国司就相(くにつかさもとすけ)等が完成を記念して寄進したもので、
制作者は桑山の大楽寺の鐘と同じ郡司信則、信之父子です



昭和27年の火災のとき被害を受け大阪で修復しました。








































大河関連 楫取 素彦・美和子(杉文)像 

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