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たかが一人、されど一人

読後感「南方熊楠」唐澤太輔著 

2015年04月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

この人物の名前は明治初期の偉い人とだけ記憶にあったが、如何なる人か全く知らなかった。たまたま書店で新刊書として店頭に平積みされていたので買い求めて読んでみた。維新前後の人は良く勉強した人が多いことは知っていたが、この南方熊楠もその一人で、驚くべき記憶力の持ち主だったらしい。して彼の偉業だが、彼は現在風に言えば生物学者となるのだろうが、大学もまともに卒業していないし、勿論学位も無い。その意味では、同時代と思うが、植物学の牧野富太郎博士とは大違いである。何で未だに名が残っているかと言えば、熊楠は日本の大学はおろか、アメリカでも何校かの大学を中退してまともな学歴は皆無であるが、粘菌類学者として幾つもの新種を発見し、それを英国の「ネイチャー」に発表して認められたこと。同じく昭和天皇にも認められ、昭和4年(1929年)紀南行幸の昭和天皇に田辺湾神島沖の戦艦長門艦上で進講。粘菌標本を天皇に献上したことがある。では「粘菌」とは何かである。本書を読むまで聞いたことの無い言葉だ。平たく言えばカビや細菌の類らしい。熊楠の表現を借りれば「普段は痰のような形状」である。全く縁遠い素人なのでよく分からないが、キノコやシダも似たようなもので、隠花植物(花の咲かない植物)の一種らしい。何れにせよ面白いものに関心を持つ人がいるものだ。熊楠は幼少より自然観察に没入して、粘菌の生態に深い関心を寄せて行った。結果、現在では定説化しているようだが、粘菌は多種多様で生態もいろいろだが、植物とも言えないし、むしろ動物に似たような生態を持っていることを発表。結果的に亡くなる昭和16年(1941年)までには世界的に粘菌学者として高い評価を得るようになった。その熊楠の生い立ちをざっと紹介するのが本書なので、彼の神童ぶりや、何か国語も自在に操ったこと、国内で大学進学を投げ捨て(諦めとは表現しにくい意味がある)アメリカに渡って、又大学を2校も今度は失敗している。それでも尚キューバから中南米数国を経由してイギリスに行って大英博物館の特別研究員みたいものにもなっている。そして生涯で「ネイチャー」誌への投稿が数十回に及ぶ学術的成果は兎も角。彼の人間性が凄い。天才と狂人は紙一重の喩え通りのようで、詳細は省くが生活ぶりは常人の想像を超える。しかし熊楠は実際に霊界と交信したり、自然界の植物動物又は岩石とさえ会話をしていたのではないかと思わせるものがある。彼は当時としては実に広い世界を実際に見聞している。そこで熊楠が理解したことは「多様性」の一語に尽きるようだ。現在でこそ「エコ」が大流行だが、熊楠は自然界のエコロジーは勿論だが、人間社会の例えば「宗教」なんかでも多様性を排除すべきでないと力説したかったらしい。明治政府によって実施された神社合祀で、当時全国に20万社あった神社が7万社に整理されたようだ。彼は故郷の神社が無くなることに抵抗して逮捕され、投獄までされている。現代人から見れば一種のスーパーマンに違いあるまい。

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