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独りディナー
毎日手紙を書き続けた、母
2015年05月05日
テーマ:思い出すままに
文章を書く快感。
それはまず、日記を書く事から始まった。
そして、手紙。
私は筆不精なのだが、それは只、美しく書き収めることが不得手だから・・。
それでも、留学中の独身生活ではよく書いた。
一方、私の母は、何かを続けることに執着のある人だった。
その固い意志は、中々真似は出来ない。
「三年日記」という分厚いノートを、毎日欠かさずに書き続けて、一体何十冊あっただろう。
出産後で字を書けなかった数日は、父に口述筆記して貰った、というのを自慢の様にしていた。
私が留学していた三年間、母は、毎日ウィーンに手紙を出す、と決めたのだった。
「書く」ではなくて「出す」。
封筒と便箋が一体になった、航空書簡箋を、毎日必ず投函していたそうだ。
実際に私のもとに届くのは、週二回の外国郵便配達日で、何故か5通配達される日と、2通の日があった。
そして、余り本を読むタイプではない母の手紙は、あまり面白くなかった。
目的が、「毎日出す事」だから、内容には殆ど心を砕いている様には見えなかったのだ。
私の方は、それに反抗するように、手紙は月に一、二通程度。
その代り、長い時は30枚位、表裏に書き飛ばしたものだ。
初めての海外暮らしで、目新しい事ばかりだったから、書きたい事はいくらでもあった。
でも、私の手紙が届こうが、母の手紙の内容は変わらない。
私は、普段の会話の様に、家族と一緒に笑いたくて、様々なエピソードを書き連ねていたのに・・。
次の手紙には、どんな返事があるのかと心待ちにしているのだが、「手紙が届きました」という一文があるのみ。
余りの反応の薄さに、私は次の手紙を書く意欲さえ失せてくる。
毎日娘を思って、書きなれない文章を綴っていた親心に、感謝の気持ちはまるでなかった。
只、「続けることの好きな母」としてのみ、片付けていたのだ。
後々、自慢の様に、「娘の留学中は、毎日手紙を書いたもので・・」と、人に話す母の横で、
「手紙はでも、内容のやり取りが無くてはねえ。一方的に書かれても・・」と、つき離したものだった。
ところが母は、私の親だけあって勝気である。
数年後に、家族と共にアメリカ暮らしをした時。
私が出した手紙の返事以外は、一切音沙汰がなかった。
私が、子育てしながら演奏会などで忙しく、手紙どころでは無い時にも、一通も向こうからは届かなかった。
それは、徹底したものだったなあ。
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今も手紙は、苦手です
吾喰楽さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。悪筆は、筆不精の元ですよね。
最近の交流は殆どメールで済んでいますが、時折手紙を書かなくてはいけない場面が生じます。そして、そんな時ほど、ワープロではなく直筆が要求される気がして(自分の中の意識ですが)頭が痛いです。
2015/05/06 07:00:19
筆不精
私は、現役時代、会社でも有名な悪筆です。
勿論、筆不精でした。
そのために、会社で一番早く、ワープロを購入しました。
以来、筆不精が解消しましたよ。
更に、ブログを書き始めてからは、文章を書くのが楽しくなりました。
もっとも、文章を書くだけではなく、恥も掻いていますが。
2015/05/05 10:46:00
真面目な親子でした・・
彩々さん、コメントありがとうございました。
娘は、母親の中に自分自身の見たくない姿が見えてくると、反抗したくなるのでしょうね。67歳にもなって、反抗心が忘れられないのも、恥ずかしい話ですが・・。
2015/05/05 10:45:39
徹底していました
パトラッシュ師匠、コメントありがとうございました。
そうですね。私の場合は、手紙を書くと構えてしまうのです。漢字を調べる為に広辞苑と首っ引きだし、悪筆には自分ながらうんざりするし、書き損じて最初から書き直しを、等々。
母の場合は、昔の人だから筆跡にも自信があったらしいし、人聞きの良い行動が魅惑的だった様です。「まあ、三年間もお嬢さんに、毎日続けて?」という、甘い言葉。というと母も可哀そうでしょうか・・。
アメリカの時は、娘から来た手紙の返事だけ、というキリの良さでした
。徹底していた事には、感心します。
2015/05/05 10:40:41
読ませていただいて
シシーマニアさんのいつもと違う、お茶目な面を
見せていただけた気がします。
クスッと笑いがこぼれましたゎ。
母娘して、真面目で勝気な事が、よ〜く解る
今日の思い出話しでした。
2015/05/05 10:23:22
手紙
自己流を貫く、母と娘。
その関係に、絶対の信頼があればこそのこと。
手紙を巡る、一つの楽しい光景になっています。
手紙を書くのが、苦手の人は、少なくありません。
構えてしまうからでしょうね。
一方で、苦にしない人も居ます。
「慣れ」の問題が大きいと、私は思います。
書き慣れてしまえば、こんなに他愛のないものもない。
私は、自身の経験から、その両方の気持が、よくわかります。
従って、お母様のなさったことも。
(アメリカ暮らしの時に、一通も来なかったのは、構えたからではなく、
別の理由でしょうけれど)
昨今、ブログが花盛り。
皆さん、気軽に書いておられます。
その調子で・・・と思うのですが、いざ手紙となると、やはり構えてしまうようで、
苦手の人は、少なくないようです。
2015/05/05 09:08:15