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日々徘徊〜♪

蕎麦の三つの食べ方。 

2015年05月28日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

知らないと損をする美味い蕎麦食いとは?

・蕎麦を手繰るとツルツルとした喉越し!

・蕎麦の香りが鼻からスッと抜けて行くこの瞬間!

・食った後、残りのつゆで蕎麦湯を頂だいたときの後味!

・思わず「あぁ美味かった!」と言葉が出れば貴方は立派な蕎麦食いです。

そば店の看板に「生蕎麦」と書かれているが、
これは「きそば」と読み、本来の意味は、
つなきをまったく使わないでそば粉だけで打ったそば(生粉打ちそば)である。
なぜこのような言葉が生まれたのかと いうと、
江戸時代中期以降に、小麦粉をつなぎとして使うようになる。
当初は麺のつながりをよくするために用いられていた小麦粉の
量が徐々に増えていき、そばの品質の低下をまねき二八そばが粗悪な
そばの代名詞になった為に、高級店が格の違いを強調するために
「生蕎麦」や「手打ち」を看板に掲げるようになったのである。
しかし、この時代には製麺機が無かったので、どちらも手打ちであった。
ところが、幕末頃になると、二八そばまでもが「手打ち」や「御膳生蕎麦」を
看板にするようになった為、その区別が なくなったしまった。
現在では、「生蕎麦」や「御膳」と看板、暖簾に書かれているのは、
そのなごりであって生粉打ちそばの意味ではない。

ザルと蕎麦
昔は、そばを茹でずに蒸し器で蒸して食べたので『せいろ』と呼ばれました。
『ざるそば』は江戸中期、深川洲崎にあった「伊勢屋」で
そばを竹ざるに盛って出したのが始まりだ。

二八蕎麦
考えられるのは配合説です。「二八蕎麦」や「十割蕎麦」などのです。「二八蕎麦」の「二」は割り粉(強力粉か中力粉)で、「八」は蕎麦粉の割合です。

年越し蕎麦
「運そば説」 
鎌倉時代、博多の承天寺で年末を越せない町人に「世直しそば」と
称してそば餅を振る舞った。すると、その翌年から町人たちに
運が向いてきたので、以来、大晦日に「運そば」を
食べる習慣になったという。
「運気そば」あるいは「福そば」とも言う。

後は引っ越し蕎麦まで。 キリが無い・・。
これからもお蕎麦はお江戸の方の楽しみでしょうか
本当に奥が深くって  江戸っ子は こうでなくっちゃぁ〜食べれない
そんな決まりがお蕎麦にも  
関西の私は 付き合えないよ〜。

いまは 讃岐うどんに    ?うどん チェーン店も有りで
本とのお味って解らない



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朝の作家さん

お京さんさん

川柳を

誉められて饒舌になる蕎麦湯割り・・・

ひそやかに育てし愛はそばの花

あなたの そば で 食べる蕎麦

2015/05/28 18:19:10

あい、うどんと、そばぁ〜

朝の作家さん

お京さま

英語にするといい塩梅だね

神田藪そば
 ざるに、常温の徳利酒
 蕎麦を揚げたのつまみに
 ながっちりしてる客が多い

ぼくは、稲庭うどんがすき
 のど越し、ちょうどいい腹もち

 お京さまの話題は
 バライティーに飛んでて
 切り替えがたいへんだよ・・・

 ブログ楽しみにしてます。

     朝の作家

2015/05/28 16:18:07

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