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Jii−Jiiの日記

「老いの才覚:曽野綾子氏著」を読んで 

2010年12月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

最近妻と会話していると、テレビを視聴している時、ボクの嫌いな人々が出ると、ボクが心の中で思っている嫌いの度合い以上に、言語で表現するので、妻は急激に不機嫌になります。現役時代は、仕事中心であり、生損保代理店や第二地銀に勤めた関係上、お客様は王様で、絶対的なもので、勤めてきましたので、公私ともの生活は抑制の言動の連続でした。働く場所から離れて約5年になりますが、抑制から解除されて、ボク自身の生の考え方、厳しいお客様の目がなくなった開放感や自由と年長者の経験等々により「おごり?」或いは、曽野綾子氏が述べている利己的な考え方や老いがそうさせるのか忍耐力がなくなっていることに気付きます。 曽野綾子氏の書籍は読みやすく、理解しやすく、楽しく読ませていただきました。老いの閉塞感が払拭されたようです。感銘を受けた?気になった言葉を下記の様に列記しますと何故老人は才覚を失ってしまったのか? 昔の老人には、老いる「才覚」があった。老いの基本は「自立」と「自律」晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える。夫婦=親しき仲にも礼儀あり 親子=「リターン・バンケット」の思想が必要即ち親子の間でも、何かしてもらって当然と考えていると、成熟した良い関係にはなりません。老い、病気、死と馴れ親しむ・・・75歳くらいから肉体の衰えを感じ始める神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる・・・あの世があるかどうか?分からないものはあるほうに賭ける引き算の不幸でなく、足し算の幸福を信仰を持つと価値判断が一方的にならない   等々...

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