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大洲城 大洲市 平成に蘇った本物の城 

2015年09月29日 外部ブログ記事
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大洲城 大洲市 平成に蘇った本物の城


肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。

明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却された
ものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、惜しくも天守は解体されました。
 
その後、大洲城を愛する地元住民の城郭への保護活動と、市民による寄付等によって平成16年(2004年)に復元されました。




四層四階の複連結式天守の復元にあたっては、明治時代の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に当時の姿を正確に復元されました。このように復元に必要な多くの資料が残っていることは大変稀なことで、大洲城の天守の復元は、まさに地元住民の想いと、史料研究の集大成と言えます。




 戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、19.15mの高さは日本一となります。また、本来なら建築基準法では認められない規模であったため、当時、愛媛県に建設計画をなかなか認めてもらえませんでしたが、2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外となり、往年の複合連結式による天守群の復元にいたりました。


城内には様々な展示物があります


           木組み模型


           築城の様子


              築城ジオラマ





戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、
19.15mの高さは日本一となります。
また、本来なら建築基準法では認められない規模であったため、当時、愛媛県に建設計画をなかなか認めてもらえませんでしたが、2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外となり、往年の複合連結式による天守群の復元にいたりました

城郭模型

高欄櫓

高欄櫓内の梁


高欄櫓からの展望


太い柱を使い当時の姿を正確に復元

天守の内部に足を踏み入れれば、城郭建築特有の迫力ある木組が訪れる人を驚かせます
使用された木材はすべて国産材です



平成に蘇った城郭建築特有の迫力ある木組





何故か松本 零士の絵


急な階段


肱(ひじ)川


最上階


肱川と大洲市




美しい姿

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