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独りディナー
やはり、褒められて学びたい。
2015年10月24日
テーマ:音楽
久々に、ピアノの友達に会った。
色々なおしゃべりをしている中で、ウィーンのピアニストである、イェルク・デームスのレッスンを受けた、若い日の思い出話を聞いた。
私たちは、日本でもウィーンでも同じ門下の仲間である。
何れの先生も、名教師として名高いけれど、現役のピアニストではなかった。
その点、デームスは世界的なピアニストだから、レッスン中にすぐ横で弾いてくれる、その演奏には感激した、と言っていた。
「どんなレッスンだった?」と聞くと、
「君はこの曲に関して、どんなイメージを持って弾いているのか、とよく聞かれた」と言っていた。
えっ?
それって、まさに私のレッスン形態ではないか!
「イメージ、という言葉をよく使ってたね。自分自身はこんなイメージで弾く、という話もしてくれた。」
そうなのか・・。
成程。
勿論、イメージの中身が問題ではあるけれど、その話は教師としての自分にとって、勇気づけられる話だった。
私の長いピアノ人生では、色々な先生に教えを受けてきたので、数えてみれば10人位の名前が上る。
それぞれの先生には色々な思い出があって、感謝しているが、女性は感情的になり易いのか、それとも個人差だったのか、中に超スパルタの先生が二人いた。
生徒の人格を侮辱する様な言葉は、今思い出しても余り愉快なものではない。
これは、日本の伝統芸能に見られた、徒弟制度の名残りかもしれない。
子供だったこともあるけれど、生徒が質問する等は以ての外、といった一方的な空気感。
言い方を変えれば、ダメ出しとはいえ細かく教えてくれるのだから、面倒見が良いのかもしれないが、本人のイメージなどは、勿論二の次だ。
一方、数少ない例であるけれど、男性の先生達は、良いところを見つけて褒めるタイプが多かった。
まあ、褒められない部分に関しては、自分で気付けという、放任主義ともいえる。
気づけない生徒は、自らドロップアウトしていくだけである。
結果的には、褒めるタイプの教え方には、色々な意味で教師としての責任が伴う。
少なくとも、褒めた部分に関して、教師自身がその上を行っていなければ、立場がない訳だし・・。
試験の夢を見る様に、私はごく最近まで、明日レッスンなのに練習が十分にできていない、と焦った夢をよく見たものだ。
でも、明日のレッスンに出てくる先生は、不思議にスパルタ先生達ではなかった。
本当に怖い先生とは、何も言わなくても、全て見通すタイプの先生なのだ。
欠点をこき下ろす様なタイプの先生を、私は反面教師として、自分は褒めタイプになろうと決めたのだった。
「あのお二人の先生に出会わなかったら、私の人生は違ったものになったかも知れないなあ・・」と、今朝つぶやいていたら、
横で聞いていた主人が、即座に、
「ピアノは、弾けるようにならなかっただろうな」と言う。
又々、意味深の言葉である・・。
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人格の否定はいけないでしょう。
誉めてくれる先生のほうが生徒はやりやすいでしょうね。
瞬間湯沸かし器のような感情的になる人には反発心しか湧いてこない。
2つ誉めて1つ叱るならいいですけどね。
2015/10/24 20:29:06