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Jii−Jiiの日記

如来の本願は称名念仏にあり 藤元 正樹 

2015年11月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



如来の本願は称名念仏にあり  藤元 正樹 

解説
この言葉を数十年前にご法座で聞き、懐かしく思い出しました。11月の言葉は一面、このことを示しているようにも
受け止めています。

浄土真宗では阿弥陀如来=阿弥陀仏=南無阿弥陀仏を「親」、「親さま」と身近に表現することがよくあります。
衆生は私たち生きとし生けるもの。それはちょうど親子のようなもので、親は子どもに対して一番に名のりをあげて、自分があなたの親ですよと、親の存在、名前を呼ばせようとします。
まだ口も十分にきけない折からです。パパとか、ママとか、お父さん、お母さんよと、自分から名のって呼ばせようとします。そのうちに、いつの間にか子どもが「パパ」「ママ」と親を呼ぶようになります。
初めて親のことを声に出して呼んだ時、親にとってそれまでの苦労は一気に吹き飛び、感激のあまり子どもを強く抱きしめることでしょう。

同じように私自身も、最初から素直に「南無阿弥陀仏」と称えたわけではありません。それがいつの間にか、何の抵抗もなく、自然に口に、声になって出てくださるようになりました。ここまでたどり着くのに、どれだけ如来さまにご心配かけたことかと申さずにはおれません。

11月の法語をめくると、早いもので12月あと1枚 2ヶ月となります。

高齢者の運転で数多くそして大きな事故がマスコミで報じられています。1月1日の誕生日で私は80歳となります。
散髪の理容師との雑談で注意深く慎重に車の運転をしないといけないですネと話しました。 人身事故だけはしないとかたく心のうちで誓いました。

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