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のびたの日記

何故か平林寺が気になって仕方がなかった 

2015年12月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



車のナビに 平林寺と打ち込んだら 野火止用水と松平信綱の墓が地図に表示された
ああ これなんだと 今まで頭にこびりついていた不思議な思いが 解消したような気がした
16.7歳の頃 当時サークル活動と言うのがあって この催しで参加したことは覚えている
 
武蔵野の灌木林が連なるお寺の境内で 蓄音器を誰かが持参して フォークダンスを踊った
マイム・マイムとか オクラホマミクサー 私には初めての経験だった
ただ それだけで 別に可愛い子が居たとか格別の想いはさっぱり無い
 

 
それが多分 何年前からか ただ 平林寺 平林寺と 名前だけが頭の中に出てくるのだ
繰り返し 想い出す言葉で不思議に思っていた
別にどこにあったとか どんな建物や境内の様子とか調べる気持にもならないのが今まで続いた
 
最近になって このサイトでも 平林寺の紅葉が良くアップされているのを見る
そうか いつか行ってみようかなと思っていても 格段の思い入れが無いのが不思議である
昨日 これも思い切って行って見よう 呪縛から解かれるように その気になった
 

 
何も調べず ナビに平林寺と入れてみた ブログ書き出しのように出て初めて分かった
それは 松平信綱の名前である 特に直系では無いが 私の親は松平の血筋にあたる
30年前ころだったか 信州の親せきの家の葬儀に行った時 初めてルーツを知った
 
母親が高遠の姫の血統だとは言われていたが 親戚の家の掛け軸に家系図があった
お前はね 世が世であれば この家系のここに当たると示された 松平の花押がそこにある
確かに昔は 財産もあり家も良かったが どこかで狂い貧乏暮らしになっていれば重さも無い
 
そうか この松平が 私のどこかに記憶されていて それが 平林寺と結びついて居たのか
ようやく 氷解されたような気持ちになる 川越街道を進み 朝霞 新座を過ぎたらすぐだった
紅葉はすでに終わっていた 別に期待しては居なかったからそれでも良い
 

 
門前の有料駐車場に車を止め まずは お店で腹ごしらえ
源平そばと書いてあるのを注文した 鳥が入っていて あとは野菜 どこが源平なのかなと思う
紅葉が過ぎると 広大な敷地を誇るお寺さんの境内は 人の姿は全く見えない
 



 
60年前歩いた野火止用水は 寺にも引かれているが 細い流れで表示が無ければ分からない
山門から本堂と巡り 今度は裏手になる林の中に入って行く
松平信綱公の一族の墓が 何十も整然と並んでいる
 




 
寺の開基は1375年 ここでは無く 岩槻市に創建され その後信綱の遺言により移された
いわゆる徳川幕府の知恵伊豆と言われた信綱は 家光に認められ 川越の藩主になる
そして 江戸の飲料水の玉川上水から 野火止用水を開削して この地域の農業発展に寄与した
 







 
更に林はどこまでも続くようだが 武蔵野の面影は こんな自然であったろうと思わせる
一周すると3キロばかり 一人も出合わず  ただ私の枯葉を踏む音だけの静寂さであった
僅かに紅葉の名残を留める色彩に会うと ホッとする感じがした
 





 
一旦 寺を出て 車の流れもある道をたどると 野火止用水本流がある
これとて小さな流れであり 表示が無ければ見過ごしていただろう
史跡 平林寺堀と言われる用水路は 関越自動車道の上を渡る
 




 
どこまでもたどれば清瀬方面だが 車を門前に置いてあるので また寺沿いの道を戻る
ちょっと 疲れを感じ 道すがらのコンビニで珈琲を飲んで一休みした
眼の前に にいざ温泉 の看板と矢印が見える 近そうだな 行って見るか
 



 
車まで戻り この温泉に入った 露天ぶろは無いが 風呂は少しぬるっとした黒湯である
歩き疲れた身体にはちょうど良い そしてイベント風呂もあり ゆずがいっぱい浮いていた
そうか 冬至だったんだ 思いがけずに ゆず湯にも入れるなんて 幸運でもある
 
 
 
     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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