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平成の虚無僧一路の日記

虎渓山永保寺 

2011年01月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



1/10 一吟会で恵那に行く途中、多治見にある「虎渓山
永保寺」にお参りした。以前から行ってみたいと思って
いて、ようやく念願叶った。

永保寺は、鎌倉時代の末、「夢窓疎石」の開山。開山堂と
観音堂は鎌倉時代の建築として国宝に指定されている。
鎌倉の円覚寺舎利殿同様、左右反りの強い屋根が特徴。

「夢疎礎石」は 京都建仁寺で禅を学んだ後、鎌倉へ赴き、
円覚寺、建長寺で首座を勤ている。

その後、甲斐を経て、美濃に移り「虎渓山永保寺」を開き、
さらに、甲斐の恵林寺、土佐・吸江庵、上総・退耕庵他、
相模国など各地に寺庵を建て 禅宗を広めた。

1325年には 後醍醐天皇の要望により南禅寺の住持となる。
さらに臨川寺・西芳寺の開山にも迎えられた。

室町の世となっても、足利尊氏の信任を得、後醍醐天皇を
はじめ足利が滅ぼした楠木、新田の菩提を弔うため、全国に
安国寺を建立することを献策。また、嵯峨野に天龍寺を
建立し、その建設のため 天龍寺船の派遣を献策し、室町
幕府の資金調達に一役かった。

まさに、天下無双の快僧である。私は、宇治の「吸江庵」
に居たとされる「一路」にあやかって「吸江流尺八一路」を
勝手に名乗っているが、宇治の吸江庵が土佐の吸江庵と
つながりがあるのかが、私の研究課題なのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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