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たかが一人、されど一人

素人には先読み不能 

2011年01月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

将棋は出来ないが囲碁は好きである、但し物凄くへぼ。どちらもトランプゲームなんかと異なり、盤面に情報が全て露出しているのだが、先読みの難しさが問題で似ている。考えてみると人間社会も似たようなところがある。囲碁の場合、味方の石の連携が最も大事とされている。ある部分の大事な石どうしの繋がりは大丈夫との前提で、他の場所を打ち進めていくと、少し前まで大丈夫と思っていた大事な石の繋がりが、突然切られてしまうなんて事が小生クラスの笊碁ではよく起きる。囲碁なんてものは盤面を全て黒と白石で埋めても、高々361個しか置く場所が無い。空間を囲いあうゲームなので、最後の局面では必ず黒白とも隙間が残る。従って1ゲームで使用する石数は互いに100個前後に過ぎない。これが舛目の線上に整然と並べばいいのだが、相手より少しでも余計に空間を囲うとするので、一つ間を空けて打ったり、桂馬と称して少し斜めに跳んで打ったりする。これにはそれなりのセオリーがあって、当初はそこを相手が強引に切ってきても大丈夫という前提で打っているのである。ところが、ある場所に相手の石が来るとこの前提が崩れてしまう。笊碁クラスでも、この場所に来たらこう守ってくらいの事はある程度読んでいる。言えばこれも先読みの一つだろう。しかしそことは全く無関係の場所を打ち進めるうちに、つい数分前迄大丈夫と思っていた味方の連携が切られそうになっている、なんて事がよく起きる。相手の石がその危険区域に来た事が気がつかない。気がついた時は将棋で言う大手飛車取りみたいな事態になっている。碁将棋の面白さは1手指したり打ったりする度に、形勢が千変万化する面白さにある。と言って己の弱さを慰めているのだが、プロは勿論アマでも強い人は、盤面全体を常に睨んで石が置かれていない空間に自分の頭の中で石を並べて考えるらしい。その変化は、コンピュータのように端から考えたら無限に近くなる。将棋の羽生さんが言っていたが、プロになると無限に近い変化を考える必要は無くて、最初から排除する手があるので、考える範囲が逆に凄く狭いのだそうだ。それでも数手数百手は瞬時に頭の中で検索するらしい。笊組は問題の個所周辺しか考えないから数手は考えているつもりだが、やはり次元が異なっている事をいつも痛感している。人間世界も同じと考えたのは、元自民党の大幹部与謝野さんが民主党の閣内に入った事。余程衝撃的な事件らしく、国会での論議が始まる前からマスコミは大騒ぎ、与野党ともに大ブーイングが起きている。囲碁の場合ならある場所に打った石は永遠にその場所から動けない。それでもある日突然相手側に取り込まれてしまう事が起きる。まして政治家なんぞは、ある場所に置いた黒石を白石に交換するなんて事も平気だろう。政党なんて石の黒白程の意味もなさそうだ。与謝野氏も保守増税派何て決め付けているが、腹の中で何を考えている事やら、政治の先読みなんて囲碁と同様素人の小生には殆ど不可能だな。

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