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人生いろは坂

変化の時代を生きる 

2016年04月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先日は、むかし懐かしい時代の事を「向こう三軒両隣」として書きました。むろん今は
懐かしく思うだけで、二度と再び同じ時代を生きることはないでしょう。

 それどころか、私たちは変化の激しい時代を生きています。世界は、第三次世界大戦に
突入したと言う人もいるくらい、中東での戦争は激しく、ヨーロッパ各国ではテロが頻発
しています。そして、パナマ文書という存在が明らかになり、世界中は騒然としています。
何がこうさせているのか、誰が糸を引いて操っているのか。ずっと後の時代になってみれば
全ては明らかになる事でしょう。しかし今は行く末すら定かではありません。

 私たちは、こんな時代に生を受けました。むろん何の理由もなく生を受けたわけではない
と思っています。生を受けたからには、何か理由がある。その何かの一つは、他人(ひと)
のために生きることだと思います。

 最初は、生んだ子のために、愛する家族のために、老いた両親のために。そして、そうした
役目を終えたら、今度は社会のために、つまり他人(ひと)のために尽くすことにあると思い
ます。政治の世界に生きる人こそ、そうあるべきです。しかし、残念ながら、そう考えている
人が何人いるでしょうか。

 いくら莫大な財産を持っていたとしても、これらは、あの世にまでは持っていけません。
ましてや家や土地もしかりです。土地は地球からの借り物です。そう考えてみると裸一貫で
生まれてきた意味が良く分かります。

 この世での出来事の全ては、仮の世界の出来ごとなのです。いわば今と言う時代に地球と
いう星に仮住まいをしていると思えば理解しやすいと思います。だから生まれてきた時も
裸なら、死ぬときも裸で死んでいくのです。何もあの世へは持って行けません。

 人の運命に、これだという定めはありません。しかし、自覚を持って生きれば、それは
それで身の丈にあった生涯を送ることが出来ます。決して他人の人生を羨む必要はないのです。
人にはそれぞれ持って生まれたものがあるようで、ただ自分自身の人生を淡々と生きるだけ
なのです。

 すぐ隣で一緒に生活している人がいたとしても、それは、それぞれの人生を生きている
のです。だから生まれて来る時も別々なら、死ぬときも別々だと言うことになります。
寂しいようですが、これが現実なのだと思います。

 それでは死んだらいったいどうなるのだろう。誰もが恐れていることの一つです。その
回答は、経験していても記憶から一切を削除されているので良く分かりません。しかし
数多くの事例や仏教の経典など、書き残されたものからの想像は出来ます。やはり、あの世
とやらに行くに違いありません。

 私たちは、母体から離れるときの記憶を持っていません。どんなに難産で苦しい思いをして
いても記憶に残っていないのです。私も難産の末、仮死状態で生まれてきました。しかし、全く
記憶はありません。恐らく、この世を去るときも、きっと同じ体験をしながら死んでいくのだと
思います。

 肉体は、この世で生きるための宇宙服のようなものではないでしょうか。酸素という毒性の
強い物質の中で生きて行くのです。よほど精密に頑丈に出来ていなければ生きていけません。
また、この世を去るときは、この世に脱いでいくことになります。残った宇宙服は有機物で
出来ていますので、何も燃やさなくても自然に土に帰って行きます。

 この世で作られた肉体は、全てお母さんが食べたものが形を変えたものです。食べたものが
肉体という赤ちゃんに着せるための宇宙服を作ったと考えれば理解しやすいと思います。

 顔や体が似ているのは、お母さんやお父さん、更には、そのまた祖先の遺伝子が受け継がれて
います。つまり、宇宙服を作るための金型が同じなので、顔つきや体が良く似ているのは当たり
前のことなのです。

 しかし、着ている宇宙服は良く似ていても、その宇宙服を着るもの自体は、まるで異なる
ことが少なくありません。生き方も考え方も異なりますが、それは、何よりも生まれて来て
から体験する数多くの出来事で、全ては決まってきます。

 人間も動物も体験することによって大きく変わっていくのです。我が子でありながら、我が子
とは思えないようなことも少なくありません。それは宇宙服を纏った精神とか、魂とか言われて
いるものが、生きて行く過程で体験することが、人それぞれ、まるで異なることにあります。
人間も他の動物も環境によって大きく変化するのです。

 それは家庭環境もあるでしょうし、社会環境も大きく影響していると思います。むかし狼に
育てられた狼少年が話題になりました。彼は何もかもが人間離れしていました。狼の中で育った
からです。育つ環境が彼を変えた事例の一つです。

 親は我が子をコントロールしようとします。たとえ意識していなくても自然誘導のような形で
自分の思うようにしようとしているのです。しかし、子どもは子どもで、そのコントロールから
逃れようと必死であがいています。また、自我が強くなり始めると、親の呪縛から離れたいと
必要以外の事は、親と言葉も交わさないようになってきます。

 その変化が成長だと思います。また、肉体は精神の有り様によってもコントロールされています。
病気と書いて気の病と読むことが出来ます。確かに細菌やウイルスに冒されるような病もあります。
こうした病気も全ての人が冒されるわけではありません。中には、しぶとく生き残る人もいます。
エボラ出血熱やペストなどと言った恐怖の伝染病の中でも生き残った人はいるのです。何がそう
させるののでしょうか。単なる偶然なのでしょうか。それは進化というものがこの世に生み出した
不思議なのですが、それ以上の何かがあるような気がしてなりません。

 そして今の世は病原菌による病だけでなく、精神的に病むことによって生ずる病気も少なく
ありません。こうした病こそ精神や魂の有り様を問われる病気なのだと思います。心を如何に
健全に保つか、それは自分自身にしか出来ない事なのです。

 こうして見ていくと人間や動物は、精神とか魂と呼ばれているものが、やはり深く関わって
いるような気がしてなりません。人は漫然と生きているのではなく、生かされているのだと
思います。

 偶然だと思えるようなことが、実は、そうではなかったと言うことが少なからずこの世には
あります。全ては偶然に見えても必然のことなのです。次回は、そのことについて書いて
みたいと思います。

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