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たかが一人、されど一人

家康関連古文書 

2016年04月22日 外部ブログ記事
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天気が悪い日にはジムの歩行マシンを使って歩行数を稼ぐようにしているが、今日のようにお散歩日和ともなると舗装道路でもいいから外を歩きたくなる。そこで思いついたのが国立公文書館で開催中の「平成28年春の特別展 徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯」場所が皇居内堀の千鳥ヶ淵の内側で散歩には絶好のロケーションでもあり、入場料が無料であるのも有り難い。家康が没したのは元和2年(1616年)4月17日だそうで、今年でちょうど400年にあたる。若い頃、家康に対しては、要領が良いのかもしれぬが古狸のようにこずるいと思っていた。今から思えば嘘みたいだが、戦争中は国中にそんな雰囲気があったように思う。未だ幼稚園児だった小生に対しても、誰かが「家康は秀吉公との約束を違えて跡取りの秀頼を殺してしまった裏切者」と吹き込んでいたのだ。このように幼児時代に刷り込まれた思いはなかなか消えにくいものだ。大分長じて時代小説を読み漁るようになって、その偏見からはやっと解放された。最近では、同世代の戦国武将信長、秀吉と比較した場合、国の統治者あるいはリーダーとしての素質は圧倒的に優れていたようにも思う。そうでなくては、家康から15代、大坂夏の陣(1615年)から約250年も続く統治の基盤は創り得なかっただろう。展覧会を見て先ず思ったことは、文書管理が行き届き多くの古文書が現存することに対する驚きだ。一部原本が展示されているが、数百年前の和紙に毛筆で書かれた数々の文書。家康の若い頃の記録であれば、かれこれ400年以上前の文書である。当然ながら紙も黄ばんで劣化がうかがえる。徳川時代の国主を含む為政者たちには、「歴史文書を大切に後世に繋ぐ」共通の価値観があったと思う。家康も紅葉山文庫を作り、古文書のコピーを積極的に作ったらしい。現代の政府内にこの展覧会に展示されている古文書を解読できる人間が何人いるか分からないが、少なくとも公文書館の職員は保存の重要性を十分認識して、このような機会を作ってくれたことについては多とすべきではある。そこで思うのが、現代におけるデータ保存と筆写の差異である。効率についてどちらに分があるかは言うまでもない。しかし世の中の全てが効率追求になっている現在を思うと、その果てにあるものについての疑問がまた新たになってくる。蛇足ながら有名な家康の遺訓 なかなか味わい深い人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し急ぐべからず不自由を常と思えば不足なし心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし堪忍は無事長久の基怒りは敵と思え勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る己を責めても人を責めるな及ばざるは過ぎたるより勝れり

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