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独りディナー
「羊と鋼の森」を読んだ
2016年05月07日
テーマ:読書
朝アップしたブログは、昨夜気持ちの良い読後感と共に眠って、夢にも登場した(詳細は忘れたけれど)、その小説を夢うつつで思い出しながら書いたような、中途半端な内容だった。
今あらためて、読後感を書こうと思う。
羊は、ピアノのハンマーを包んでいる「フェルト」の、鋼は、ハンマーで打つことによって音を鳴らす、「弦」の、素材を表現している。
そして、森とは。
高校の体育館に置かれているグランドピアノの音が、調律師によって少しずつ変わっていくのをそばで眺めていた、17歳の少年。
育った地元には高校が無い様な、山奥の村から出てきた外村少年が、その時感じたのは、森の匂いだった、というところから小説は始まる。
そこから外村少年は、調律師への道を歩き始めるのだ。
調律師として専門の教育を受けたのち、楽器店に配属されて、何人もの先輩たちに出会う。
最初に体育館の調律で引き込まれた板鳥さんは、著名なフランス人ピアニストに指名されて、コンサートツァーについて回るほどの人だったり。
ある日、先輩の調律師に連れられて訪れた家庭には、ピアノの上手な双子の高校生が居た。
同じ顔をした二人から流れる、それぞれのピアノの音の違いに、調律師の卵になった外村君は、衝撃を受ける。
考えてみれば、ピアノという楽器を通した縁だけで、調律師とは様々な家庭に入り込んでいく、特殊な職業だ。
中々味のある職業ともいえる。
電化製品の修理の人なども、家庭に入り込むだろうけれど、それは一過性の付き合いだ。
しかし、ピアノの場合。
その家庭環境から、場合によっては教育方針や才能の行方まで、
見届けることになりかねない。
私は転居が多かったから、数十年にも及ぶ付き合いの調律師さんは居ないけれど、当然ながら調律はいつだって、信頼できる人にお願いしたい。
一般に、ステージに置かれているピアノは、ドイツのスタインウェイ社のピアノが多い。
大きなホールなら、ヤマハのピアノも備えているけれど、スタインウェイを使用する人が多いこともあって、使用頻度が高いだけ調整も行き届いている。
この小説にも出てくるけれど、調律の世界にはルールがあって、ホールのピアノは、それぞれの会社専任の調律師が扱うことになっているらしい。
自宅のピアノ調律を頼んでいる人に、本番も調整してもらうのが理想だが、簡単にはことが運ばない、という訳である。
私はずぼらな性格だから、ピアノの調律に対しても余り神経質なことは言わない方だと思う。
とはいっても、やはり本番は良い状態で演奏したい。
自宅のピアノは、ニューヨークで購入したスタインウェイなので、日本では若干ルールが難しく、私は通常、調律はヤマハのコンサートチューナーの方にお願いしている。
あるとき、その人に調律して貰いたくて、本番でヤマハピアノを選択したことがあった。
ホール側は、せっかく良いスタインウェイを備えているのに、とやや残念そうな様子だったけれど・・。
本番前の、最終調整の時。
その時、私でさえ、ちょっと不満な音色に思えた部分があった。
真ん中より少し上の、主に旋律を奏でる範囲の音色が、どうしても私には薄っぺらい響きに聞こえたのだ。
信頼している人だったので思い切って、このあたりの範囲の音が、やや明るすぎるので、ちょっと暗めにならないでしょうか、と訊いてみた。
私が弾く音を暫く聴いていたその人は、「15分位時間を戴ければ・・」と言ってくれたのだ。
それは、多分に心理的なものもあったと思う。
でも私は、お蔭でその日のロマン派の曲を、安心して響かせることができたのだった。
自己満足な記憶だけれど・・。
朝のブログに書いた、「ピアノを食べて生きていくんだよ」というセリフは、双子の一人がピアニストになろうと決心した時に口にする言葉である。
「ピアノで食べて行ける?」と言うセリフは、何万回聴いたかしれない。
でも。
「ピアノを食べて」という表現は、音楽を、いや自分の人生をかけていくこれからの目標を、本当に好きかどうか。
齢、68歳にして。
又々、余韻のある言葉に出会った小説であった。
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筆頭が、彩さんですけど・・。
こうしてコメントを書いていただくと、自分は今まで狭い社会で生きてきたんだなあ、と実感しますね。
どんなふうにピアノが弾けるのか、それが自分の人生を通して、評価の大半だった気さえします。
それに引き替え、このシにアナビは、気持ちにゆとりを持って生きている人たちの集まりだ、とつくづく思います。
そして、個人差はあるにしろ、自分の存在を発信したいと思っている人たちの集まり、でもありますよね。
だらこそ、豊饒な印象があるのかもしれません。
素晴らしいコミュニティに出会えた、とつくづく思います。
2016/05/08 11:45:40
なるほど
シシーさんの今までに、いつもピアノが
在る人生であったことが良く伝わってきます。
今年の本屋大賞受賞作「羊と鋼の森」の読後感を
ピアノで語ってくださっているように聞こえ
ました。
シシーさんが少女時代から尊敬の念をもって
ピアノに向い、小さい手で弾いている姿を
想像させてくれる程。
私の60年にもなる心友も今もピアノ講師をして
います。
幼少時代から家もすぐ近所だったので、訪ねて行くと、
ピアノの音が聞こえています。
私は、‛あ〜、レッスン中なんや〜’と、彼女の家の
門にもたれて、流れるレッスン曲を聞いていました。
ピアノの音が止むのを待って「遊ぼッ!」と、大声で
誘っていた、幼き頃の自分の姿を思い出しましたわ。
そういう意味では、私の傍にもピアノが在りました〜ぁ。
ピアノって生き物なんですね。
2016/05/08 05:08:46