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足利義政と銀閣寺 

2016年05月23日 外部ブログ記事
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八代将軍「足利義政」が築いた絶景の歴史物語

華麗なる足利一族100年物語
守護大名が戦を繰り返した戦乱の時代
京都を焼き尽くした、応仁の乱によって焼け野原となった京都
焼土の中から誕生したのが「銀閣寺」東山文化でした
足利義政の造った建物(銀閣寺)そして生み出した美の革命とは?
『BS・TBS『高島礼子・日本の古都』番組参考&引用






























銀閣寺(『BS・TBS『高島礼子・日本の古都』番組画像他引用)

東山慈照寺(銀閣寺)
義満が築いた、東山慈照寺(銀閣寺)山号より、東山文化と呼びます
慈照寺観音殿(一層は住宅風の書院造、二層は禅宗様の仏殿)
慈照寺東求堂は、四畳半の部屋(同仁斎)は、義政の書斎で、茶室の起源、近代和風建築の原型ともなった

東山文化とは
八代将軍足利義政が築いた京都の東山山荘を中心に、武家、公家、禅僧らの文化が融合して生まれました
慈照寺銀閣は、東山文化を代表する建築です
能、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開きました
東山文化は、庶民にも浸透し、日本的な文化を数多く生み出しました
「幽玄、わび・さび」に通じる美意識に支えられている文化と評されています

室町幕府の足利幕府経緯
足利義満は明徳の乱、応永の乱などで有力守護大名を挑発しては討伐してその勢力を削減
中国の明王朝から「日本国王」として冊封を受けて天皇に迫る権威を確立するなどした
足利義満が死去すると次第に将軍権力の弱体化、守護大名の台頭が顕著になって行く。
第6代将軍・足利義教は父・義満の政治路線を受け継いで将軍権力の強化を行なった
強硬的なやり方は周囲の反発を招き、暗殺され、将軍権力の衰退と権威の失墜が露呈する結果となった
第8代将軍・足利義政の時代には後継ぎ問題などをめぐって応仁の乱が発生
第10代将軍・足利義稙は管領の細川政元によって将軍職を追われた
第13代将軍・足利義輝暗殺後の3年間、室町幕府では将軍空位の時代が続き幕府は消滅している
足利義輝の実弟・足利義昭は、織田信長に擁されて上洛し、第15代将軍となった
将軍の義昭は信長と対立して京都を追放され室町幕府は終焉を迎えた

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