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平成の虚無僧一路の日記

山口県と虚無僧 その2 

2016年06月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



江戸時代、中国地方に虚無僧寺は、石見銀山で知られる島根県大田市大森町銀山に「西岸寺」が1カ寺在ったのみ。それも江戸時代半ばには「無住」となっていた。山口、広島、岡山には虚無僧寺は無かったので、虚無僧は居なかったと思われるのだが、今回の旅で大発見。下関から19号線を海沿いに萩へ向かう途中、川棚温泉駅を右に折れ、車で15分ほど、下関市豊浦町中小野に「虚無僧墓」というバス停があった。道路脇に、屋根つきのしっかりしたお堂があり、中に虚無僧を祀った墓がある。天保(1830〜1834)の頃、どこから来たのか一人の虚無僧がやってきて住みついた。その虚無僧は、大酒飲みで、村人たちは敬遠していた。ところがある時、村の娘が山賊に襲われた時、救ってくれたのが件の虚無僧。弘化3年(1864)虚無僧は頭を患って死んだので、村人たちが供養のお堂を建てて祀ったとか。弘化3年は、「幕府による虚無僧の取り締まり」が厳しくなった年だ。これも虚無僧の霊に呼び寄せられたか。一曲手向ける。なんと、その近くには「小野の小町」の墓も。小町も諸国流浪の末、ここに流れてきて没した。それで村名を「小野」というとか。ただし、小町の墓は全国に28カ所もあるそうな。

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