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広島平和公園 

2016年08月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

原爆ドーム





暑い〜36度です


暑い中おおくの方が見えられています





原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)


原爆の子の像  外国人客も多いです



現在の平和記念公園一帯(中島地区)は江戸時代() から陸海の交通 の 要衝() として栄えていました。
また明治になると、 市庁舎() 、 県庁舎() のほか、広島の物流の 拠点() となるなど、政治・行政・商業の中心となりました。
被爆時() のこの地区7町の住民は、合計で6,500人と 推定(すいてい) されています。
       当時の中島地区の模型





被爆した墓石( 慈仙寺(じせんじ) 跡の墓石)
慈仙寺という浄土宗の大きなお寺があった跡です。
慈仙寺は爆心地から約200m



五輪塔(台座付き)
24枚の花弁で飾った台座の上に「地」の文字のある四角な石、その上にはそれぞれ「水」「火」「風・空」の文字を彫った三つの石が据えてあった。
地輪 微かに元禄二年の刻が見えます。


浅野家・御年寄 岡本宮内の墓でした


平和記念公園の中で被爆当時の地面をそのままとどめているのはこの墓地だけです

公園が盛り土して建設されたため周囲を石で囲んで、
池の底のようになってしまったこの部分が当時の地面です

「空輪風輪の部分はひとつの石ですが、流れ込んだ砂で、下側の「風」の部分が埋まって見えなくなっています
左は水輪







場所によって違うが平和公園の敷地内は約15センチ
から40センチの盛り土があり、その下にはさらに市内のがれきを集めた層が50センチほどあるとみられています


平和公園の下にはまだまだ遺骨が眠っています。



ポケモンなんかで遊んでよい場所ではありません

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