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たかが一人、されど一人

由緒正しき血統 

2016年09月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

余り自慢にならぬが、我が家は一代限りで家系が途絶える。娘が二人いたが何れも他家に嫁いでしまった。私と家内は父の墓に入れてもらうことになっているので、たまには弟の子孫が墓前に線香を上げてくれることだろう。弟の子や孫までは一応顔は繋がっているが、それ限りである。その後の世代は彼岸やお盆に花を手向けてくれたり線香を焚いてくれるかもしれぬが、墓誌に名前が刻まれたとしても何の感慨も湧く筈がない。こう書くと味気ないが、我が魂は娘の体を経て異なる姓となったその子たちに引き継がれ、永遠に生き延びると考え、自分なりの誇りの縁にしている。個人的なプライドについては各人各様の考え方があろうが、父は先祖になることにこだわりを持っていたのが面白い。田舎の五男のくせに何故か実家の墓に入るのを嫌がり、先祖の伝来の寺に一定のお金を支払ってまで新たな寺の檀徒になることにしてしまった。新しい寺の住職の人格に惚れてならまだ話は分かるが、この住職、高校の後輩だが、変に威張ってとても人格者とは言えないように思う。理由は先祖伝来のの寺と同じ宗派で自宅から最も近いだけの理由のようだ。それでも先祖となったことにはいたく満足したのだろう。成人した子供四人を呼びつけて、今後は全員この墓に入るがよかろうと宣言してくれた。実に分かり易いし、経済的にも有り難い話なので、こちらには何も反対する理由は無い。父の信仰心は複雑で、寺を変えるくらいだから先祖の墓参りは余り聞いたことが無い。個人的にも父の実家の墓には70歳近くになって初めてお参りさせてもらった。父は一応仏徒の心算もあったかも知らぬが、神道に近いものもあったみたいだ。毎朝東に向いて手を合わせ、なにか熱心に祈っていた。時々冗談のように「我が祖先は天照大神、天皇家と親戚でもあるが、先祖を辿れば日本人全員と親戚になるよ。」が口癖だった。その血を受け継いでいるので一応仏徒のような顔はしているが、信仰心を問われれば、はて、どんなものであろうか?

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