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“毒ガス”汚染土壌の盛り土に陸軍“毒ガス”研究所跡地の残土を搬入「食の安全軽視」豊洲新市場! 

2016年09月26日 外部ブログ記事
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『旧陸軍毒ガス研究所跡地の残土を追及した共産党清水ひで子都議「議事録」全文』をエントリーしましたが、文中にある『昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査」フォローアップ調査報告書』の新宿区百人町の部分を抜粋します。国際法違反の毒ガス研究は陸海軍で秘密裏に行われ、終戦時の「保有数・量」を記載した文書も焼却され、さらに遺棄された事実も敗戦後28年も経ってからの調査ですので、全てが正確かどうかは誰も分かりません。管理人は国内外の遺棄毒ガス問題を調査してきましたので断言することが出来ます。食の安全安心を最重要課題とする生鮮食品の卸売り市場建設の盛り土に、陸軍毒ガス研究所跡地残土を搬入することは絶対あってはならないことです。

昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査(抜粋)

4.5 個別事案(各地域ごとの毒ガス弾等に関する状況)
13東京都
 13−1 新宿区の事案
東京都新宿区には、第六陸軍技術研究所が存在し、終戦まで化学兵器の研究、開発が行われていた。関係者によれば、終戦時に化学兵器を保有していたが、それらは消毒、中和、焼却等により廃棄されたとしている。
○生産・保有情報・証言等によれば、終戦時に、第六陸軍技術研究所には、イペリット・ルイサイト・青酸が0.1tが保有されていたと記載されている。
○廃棄・遺棄情報・毒物は保管し、米軍に引き渡したと記載されている。
・元第六陸軍技術研究所長の証言によれば、「終戦時に第六陸軍技術研究所構内において、消毒・中和・焼却などにより化学兵器を廃棄した」と記載されている。
○発見・被災・掃海等処理情報・昭和30年7月に、東京都新宿区大久保百人町にて、イペリ ット・ルイサイトの缶12個が発見されたと記載されている。
○その他情報・陸軍科学研究所の設備として、汚毒物投棄のための毒物廃棄 井戸が存在したことが示されている 。関連する情報も証言として寄せられている
・陸軍科学研究所である戸山ヶ原科学研究所(第六陸軍技術研究所の前身)は、大正11年より各種化学剤の研究を開始し、大正12年よりイペリットとホスゲンの製造を開始したと記 載されている。
○現在の状況・区では、毎年区内の地下水の汚染状況を調査しています。平成15年度は、旧陸軍の毒ガス被害が問題になったことから、従来から調査している有機塩素系の3物質に、全シアンとヒ素を加えた5項目について、従来の採水地点60か所に、 百人町三丁目(旧陸軍技術研究所跡地)周辺16か所を加えた76か所で調査を行いました。結果は、全シアンとヒ素については、基準値を越えた地点はありませんでした。

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