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平成の虚無僧一路の日記

会津藩からの留学生 その1 

2016年10月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「獅子の時代」は山田太一による創作もの。実際は。
慶応3年(1867)「パリ万国博覧会」に、幕府は、将軍徳川慶喜の弟である当時14歳の徳川昭武を名代として総勢33名の使節団をパリに派遣した。その中に、会津藩から、横山常守(20歳)と海老名季昌(24歳)の二人が加わっていた。一行はエジプトを経由してフランスに向かった。万博が終わると、二人は使節団と別れ、ロシア、プロシア(ドイツ)、オランダ、ベルギー、イギリスと多くの国々を歴訪し、見聞を広めて、その年の末に帰国した。年が開けて慶応4年(1868)正月、薩長との間に戊辰戦争が勃発。海老名は負傷。横山も5月、白河口の戦いで戦死した。海老名はその後会津若松町長として会津の復興に尽力した。
横山常守は、若干18歳で会津藩家老だった。

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