メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

敏洋’s 昭和の恋物語り

信州・箱根での美術館巡り  第二章 ポーラ美術館〜モダン・ビューティ〜 (十一)エドガード・ドガ [マント家の人々] 

2016年12月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今回の目玉的な、展示です。
中世における女性たちのファッションに触れたくて計画した今回の旅です。
構想中の[マリー・アントワネットに恋した男]がフランスを舞台にした作品であることから、少しでもその雰囲気に浸りたいと考えたわけです。
さてさて思惑通りに、中世おフランスに飛び込むことができますやら…。

人物像―――Wikipediaより
ドガは1834年、パリに銀行家の息子として生まれた。
「ドガ」という貴族風の苗字を持つが、ドガ家はフランス革命後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、エドガー・ドガの生まれた頃にはさほど裕福ではなかったらしい。ドガは1855年、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)でアングル派の画家ルイ・ラモートに師事した。1856年、1858年にはイタリアを訪れ、古典美術を研究している。
ドガは通常印象派の画家の一員とみなされている。確かにドガは1874年以来、印象派展にたびたび出品し(全8回の印象派展のうち、第7回展以外のすべてに参加)、1862年にマネと知り合ってからは「カフェ・ゲルボワ」の画家グループにも参加していた。しかし、光と影の変化をキャンバスに写し取ろうとしたモネのような典型的な印象派の画家たちと異なり、ドガの制作の基盤はあくまでもルネサンスの巨匠や、熱烈に信奉したアングルの画風にあった。古典的手法で現代の都会生活を描き出すことから、ドガは「現代生活の古典画家」と自らを位置付けた。ただし、ドガも他の印象派の画家たちと同様、浮世絵、特に葛飾北斎の影響を強く受けていることが小林太市郎によって指摘され、日本におけるジャポニスム研究の発端となった。


マント家の人々

解説―――ポーラ美術館HPより
うつむいて身支度の世話をしてもらっているのは1878年、7歳でバレエ学校に入学したシュザンヌである。
バレエ学校や舞台裏でよくみかける、母親が娘の世話をする光景を描いた本作品は、肖像画であり風俗画でもあるといえるだろう。
画面左の街着の少女は妹ブランシュ、または華やかな踊り子姿に対比するように描かれた地味な街着姿のシュザンヌであるとの解釈もされている。
1848年から1894年にオペラ座のオーケストラのコントラバス奏者をつとめ、写真家でもあったドガの友人ルイ=アメデ・マント(1826-1913)の家族を描いている。1
857年に歌手と結婚したマントは7人の子どもをもうけ、シュザンヌ(1871-1959)、ルイーズ(1875年生)、ブランシュ(1877年生)の娘3人がバレエ学校に入学した。
―――――――――

二人の娘たちと母親の三人が描かれているが、相変わらず踊り子姿が好きなドガですなあ。
これから舞台に上がるのだろうか、しきりに母親が後ろで身支度の世話をしている。
首に巻かれた赤いスカーフを直しているように見える。
赤い髪飾りと肩口の赤いリボンが、白いドレスに映えている。
少女の方はピンとつま先を立てているが、もうすでに演目の中に入っているようだ。
隣でぼんやりと立つ少女の淋しげな表情がわたしを捉えた。
出来の良い兄を持った弟(わたしなんですが)の悲哀を思い出させます、

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ