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日本の仏教(「葬式仏教」構築) 

2017年01月15日 外部ブログ記事
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現在の「葬式仏教」の仕組みができあがる

江戸時代の本末制度と寺請制度は、寺院の権限を拡大させた
仏教界は固定化し、葬儀や法事などの儀礼が定着した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『宗教史(成美堂出版)』他引用&参照
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています








日本の仏教(『宗教史(成美堂出版)』、ネットより画像引用)

寺院を一括支配する本末制度制定の背景
江戸幕府成立以前は、都では僧兵の武力を背景とした南都北嶺(奈良と比叡山)の寺院の僧兵暴れる
江戸幕府成立以前は、地方では惣(農民らの地縁的な自治組織)を核に結集した一向宗や法華宗の一揆
江戸幕府成立以前は、これらの勢力が、政治・権力をおびやかした
織田信長、豊臣秀吉ら戦国大名に武力で鎮圧されて活動を沈静化した

徳川幕府政権は、本末制度制定
仏教勢力が力をもたないよう、寺院法度を制定し統制を図った
本末制度は、中世からあった本山―末寺体制を利用した
本山が傘下の寺院を格付けして末寺帳に記載し、幕府はこの末寺帳を提出させ上下関係を固定させた
結果、所属宗派を定めていなかった寺院も、いずれかの宗派の傘下に入った
本山は幕府に対しさまざまな義務を負つたが、末寺からの上納金を正当化でき人事権も掌握した
幕府統制下といっても、管理地の税徴収権、関係者の処罰権は本山が有し、強い自治権をもっていた

寺請負制度(徳川幕府政権ではお寺が戸籍係)
庶民の管理システムとして導入されたのが宗門改めと寺請の制度
宗門改めとはキリシタン禁令に対応したものです
 ☆家ごとに檀那寺とその宗派、構成員の人数などを記し、キリシタンでない保証を檀那寺が支配所に提出する
寺請制度とは、この檀那寺と檀家の関係を固定するもので、原則として地縁で選ばれた
 ☆檀家は、檀那寺を維持する責務を負い、怠ると檀那寺はその家の宗門改めを拒否できた
 ☆婚姻や奉公、旅行や引っ越しで移動する際にも、寺請証文という身分証明書を持ち歩かなければならなかった
檀那寺は、経済的負担を肩代わりしてもらう代わりに、檀家の葬儀や法事をとり行うようになった
一方庶民は行事や現世利益を寺に求めた

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