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信長よりも偉大な女性(お市の方) 

2017年02月03日 外部ブログ記事
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お市の方(織田信長の妹)

近江の大名浅井長政の正室となり、後に織田家重臣の柴田勝家の後妻となった
子供は、茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)
孫には、豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子、千姫、徳川家光、徳川和子(江の娘、息子)
徳川和子は、後水尾天皇の中宮となり、娘は明正天皇となった
今上天皇の先祖に当たる人物でもある
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
NHKBS番組『英雄の選択』、WIKIPEDIA
 ☆司会磯田道史先生「私の好みの司会者です」
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)


















お市の方(『英雄の選択』番組画面引用)

お市の方浅井長政の正室に
浅井長政に輿入れしこの婚姻によって織田家と浅井家は同盟を結んだ
浅井長政との間に3人の娘(茶々・初・江)を儲ける
織田信長が、浅井氏と関係の深い朝倉義景を攻めたので、浅井家と織田家の友好関係は断絶した
政略結婚ではあったが、長政と市の夫婦仲は良かったらしい

浅井長政が姉川の戦いで織田信長に敗北
小谷城が陥落し、長政は、その父・久政も信長に敗れ自害した
お市の方は、3人の娘(茶々、初、江)と共に救出され織田家に引き取られる
清洲城にて兄の信包の庇護を受け、三姉妹と共に9年余りを平穏に過ごした

織田信長本能寺の変で死亡
柴田勝家と羽柴秀吉が申し合わせ結果より、お市の方柴田勝家と再婚した
勝家が羽柴秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れたた
夫勝家と共に越前北ノ庄城内で自害、享年37歳
辞世は「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ郭公かな」

お市の方人物像
戦国一の美女と賞され、さらに聡明だったとも伝えられる
長女の淀殿は、父・長政の十七回忌、母・市の七回忌に菩提を弔うために、両親の肖像画を描かせた
肖像画は(高野山 持明院)に伝えられている
3人の娘たちの行く末を心配していたお市の方は、羽柴秀吉に直筆の書状を送る
徳川家に嫁ぎ、多くの子を成した江により、その血筋は現在に至るまで続いている

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