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平成の虚無僧一路の日記

『虚鐸伝記』を伝えたという阿野家とは 

2017年02月17日 外部ブログ記事
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「中国唐代の普化禅師を祖とする普化宗は、鎌倉時代、
紀州由良の開山法燈国師覚心によって日本に伝えられた」
とする虚無僧の伝記は、『虚鐸伝記国字解』に書かれ、
一般に流布されました。
その書のはしがきに「虚鐸伝記という書は遁翁の作で、阿野中納言
家に伝ったものを山本守秀が解読し、寛政7年(1795)出版した」と
書かれています。そして「阿野中納言公縄(1728-1781)」の朱印が
押されています。
そこで「阿野」氏についてネットて調べたところ、すごいことが
わかりました。
源義朝の七男で義経の同母兄今若丸が駿河国駿東郡阿野荘(静岡県
沼津市西部)を領し、その地名を苗字の地として阿野全成と称した。
藤原成親の四男藤原公佐をが阿野全成の娘を娶り、阿野荘の一部を
相続して「阿野」を家名とした。
公佐の子実直は宝治3年(1249年)公卿に列した。
その子孫実廉は後醍醐天皇に仕え、妹の廉子は天皇の後宮に
入って後村上天皇の生母となる。この縁から阿野家は代々
南朝に仕えたが、南北朝合一後も公家社会に留まった。
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駿河駿東郡の阿野荘は、北条早雲の後室「葛山」氏、その子
北条幻庵とつながる。そして興国寺にも?がります。
後醍醐天皇の尺八(一節切)が現存しており、阿野廉子の子
南朝の村上天皇は住吉神宮を行在所とし、一休とも?がる。
虚無僧の伝承が南朝と関わりが深いことからも、阿野氏に
「虚鐸伝記」が伝えられたというのは、何か関連を感じ
させる。さて、その後の阿野氏は
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実治は合一後、権中納言となり、その後も浮き沈みはあったが
江戸時代、公業・実藤・公緒・公縄の4代が官位に留まる。
明治維新後、公誠は参与に補任、その子実允は子爵。
分家に山本家があるとのことで、「阿野公縄家に伝えられた
『虚鐸伝記』を山本守秀が解読した」というのも、同族の仲
故かと思われる。
家業は神楽というので、尺八との関連も無きにしもあらず。
そのご子孫は、現在バイオリニストの水谷川陽子さんと
チェリストの水谷川優子さん。
なんと阿野家最後の当主「阿野佐喜子」さんが「水谷川忠俊」氏に
嫁がれた。その「水谷川忠俊」氏は音楽家「近衛秀麿」の実子。
それでお二人のお子様「陽子」さんと「優子」さんも音楽家として
現在活躍中。
「?水谷川忠俊」氏は作曲家。父は子爵 近衛秀麿。義父は男爵 水谷川忠麿
「阿野佐喜子」と結婚長女 1964- 陽子 バイオリニスト次女 1968- 優子 チェロリスト

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