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終わっちゃったナ〜(´・ω・) 

2017年03月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


昨日、記事の更新時間の関係で書けなかったんですけど、地味に見続けていたフジの夜ドラ、嫌われる勇気が遂に終わっちゃいました〜何となく、寂しい気持ちに。ストーリー自体へ別段、無茶苦茶ハマるとかはなかったんですけど、アドラー心理学を知る切っ掛けとなったのは大収穫のドラマだったので…先月に私はアドラー心理学の考案者であるアドラーさんの著書を結局、上下巻共に購入致しまして、実は既に結構早い段階で読み干しています。その内容が私にとって、とてもシックリと胸落ちするモノであり、上巻に引き続いて下巻も購入し、そして全てを読み終えてから改めて買って良かったなぁと思えた。私が日常的に心の中で抱える負の感情コントロールは、こういった書物の情報を得たからと言って即トレース実践して行動する事で収まる程に簡単な問題ではないのだけれど、読んだ事によって参考になったと思え、ソレを心掛け様と思えただけでも、随分と心の負担は軽くなった様に思えます。マァ情報を実として身に付けるに至る迄には、まだまだ修行が必要だとは思いつつ…。こうした自分の中から生まれ出たモノでない種類の、外付けの理論を知識に入れて心掛ける事によってもしも容易に人格が変わるのなら、現在世界に散らばっているモラハラやDVする暴言・暴力人間達がこの世の中から消えるのもさぞや、早かろうと思ったりもする訳です。稀な事だと思うけど、そういったケースの人々が幾ら自らカウンセリングを受けてみても、心の奥底に根付いた病気は厄介で根深い病気に思える。だからこそ、自分に苦しんでいる人も居るのだと思うのですが、もし良くなるにしても、人格形成を見直し構築していく為には、長い時間がそれなりに必要なのではないかと思うんですね。。。だからひとまず心の気付け薬的に、こういった情報を自分の中に少しずつでも上手く取り入れて気持ちを楽にする事から問題を紐解いて行けたらなぁと心を健全に開放してやれる日が来る可能性がある事を夢見てみたりするのです。更に通してあのドラマを見てみて、良いなと思えた事もありました。自分に対して起こる困難や悩みを女刑事安堂役の香里奈さんが、一貫して『自分の課題』と表現する事。自分の課題は、自分の力で乗り越えるしかないというアドラー心理学の根本的な考え方が清々しくて好きでした。他にも、『それは貴方の課題であって私の課題ではありません』と、その人が抱える問題にキッチリと線引きをする所もとても良かったですね。心に大変心地よく響きました(*´?`*)確かに自分の抱える課題を人の物と混同して考えてしまうと、余計にこんがらがってしまって、糸が複雑に絡まるばかりだなぁと納得出来ます。自分の抱えきれなくなった問題を人のせいにして、見ないフリをして自分を保つ事、人の為と言いながら、結局は自分の為に動いている事は人間にありがちなのかも…?と考える。そうしない為に、キチンと今の自分の課題とは何なのかを知って、それが心の苦痛を伴う事であっても、逃げずに自分の弱さに挑んで課題を克服する事で一つ、自分の足で立って行ける心の強さを得る事が出来る。そんなメッセージをストーリーに込めてあのドラマは放送されていたのかな〜なんて風に解釈をしてみたり。ともあれ、アドラー心理学は素敵な概念だと思います。そんな概念を知る事が出来て、ドラマにはとても感謝です。私は随分長い間こんな大嫌いな自分なのに生きていかなきゃならない事を拷問の様に感じ、何かある度に苦痛だなぁ生きる事から早く逃げたいのにと思いながら、でもだからといって自分で死ぬ訳にもいかず、イヤイヤながら生きてきました。ただふと、お天気の良い日に道を歩きながら思った。じゃあ私は、一体、どんな風に生きれば満足するのかなぁ?と。究極の論理。世界を自分の思い通りに動かせでもしたなら、果たして幸せなのか?42年間生きてきて、そんな私の経験から考えてみるに、例えばじゃあ、そんな人はこの世に存在するのだろうか?と考えを巡らせた時、え。そんな奴、居なくね?と、なった(笑)単に普通の一庶民で、人類の裏世界的な知識がないから、思いつかないだけなのかも知れないけど。分かりやすい所で、例えば世界の大国であるアメリカやイギリスの大統領なんかを思い浮かべてみる。う〜ん、何か皆んな、それなりに大変そうである日本でも何処でも、政治家の任期が切れれば候補者が立つのだから、需要はあるのかも知れないけど、職務は大変そうですよね。代表として人の上に立てば、沢山の立場の人々から色々言われるし…。過去に舛添元都知事も暴かれた範囲でものすご〜く好き勝手都民税を私用に使い込んでいたけれど、結局、辞任に追い込まれた。現都知事になってから、一般都民の耳には、とんと何の情報も入らなくなったが、もしまだその影で他の人よりはいい生活を保っていたとして、腹黒い自分を抱えて生きるのも今後何かと大変そうな気がしてしまう。人が過分な名誉を保ち続けるには、それなりの努力が必要なのだと思う。次に、富。お金を持っているから幸せになれるだろうか?お金はその性質から常に流れるものであり、ソレを手元で流動させながら保つのには実は高度な技が要るのではないか?ただ持っていても無意味なお金は、限りある富であるから当然の事ながら、使えば無くなる。使って無くなったお金は新たに稼がなければならず、この世界不況が慢性化する世の中では、余程の手腕が無い限り巨額の富を稼ぎ出すのは至難の技である事の様に考えられる。そんなお金を稼がねばならない仕事を回すお金持ち達は、確かに贅沢も出来るんだろうけど、その代償としてボーッとはしていられないのではないだろうか。財産を狙われる場合もあるだろうし、セキュリティにも過分に気を配らなければならない。ある意味、精神的にとても過酷だ…。他にも、元々の身体能力が高ければ、幸せなのだろうか?アスリートを職業とする人々にも、人間である限り等しく老化は訪れる。そうなると、全盛期を誇った身体能力は徐々に失われ、活躍は難しくなるのではないか。そうなった時の自分を果たして受け止められるのか否か。…結局の所、どんなに恵まれた環境にあると思われる人々も状況がそうであるだけで、その心一つでもしかしたら幸せにはなれない所まで行き着いてしまう事もある。対して何らかの病気を抱える人は不幸なのだろうか?思う様にお金を稼げず貧乏な人は、それだけで不幸なのだろうか?確かに、持っている人と比べるといった視点だと、そう思えるかも知れない。けれど。比べて不幸と想像される様な病気を持った人でも、お金が無い人でも、この世を捜せば、日々、幸せそうに暮らしている人も居る。どんな状況に身を置いても、例えば家族に恵まれていたり、支え合える存在が居るなどする事で、幸せにはなれるんだという風に思えた。限りある命に、自分がどれだけ幸せな気持ちになれるかを見つける事で、もしかしたら自身のこれからの生き方を決める事が出来るのかな?なんて思う。マァそれも結局は、思うが易し、行うは難し。。。なんですが(苦笑)そんなに簡単に心根を変えるとか、無理だわな〜目の前のホントしょーもない出来事にアホみたいに激怒して怒り狂ったりする様な人間だもの。ああ、大きな人間になりたいですよ。なれるものなら。私だって、些細な事で心を乱してのたうちまわりたくなんてない。先程ツラツラと思いを巡らしたみたいに、本当の意味での幸せになりたいんだもんっ…その足がけとして、私の場合はアドラー心理学を参考にする行動を取り敢えずの選択にしたいです。どうせなら、マイナス思考グルグル人生なんかより、少しでも幸せな心をゲットしなきゃ!そうしたら、生きるのがとても楽になれる様な気がする。人間のあらゆる本能欲や怒りに翻弄されていては負の感情しか寄って来ないから、危険。足るを知り、自律の精神を確立してこそ人の和を作り、自分の周りでの居心地の良さを整える事で、どんな状況下でも心が満たされる事が出来るのかも…?とか考えてました(笑)

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