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たかが一人、されど一人

お馬鹿さん 

2011年03月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

孫の一人がAKB48の何とかと言いう娘のファンらしい。昨夜婆さんとテレビを見ながら「この娘よ」と教えたもらった。長身で少し面長の可愛い子だった。それはそれで良しとして、孫達の間では自分の事はさて置き、女友達を評価するのに「お馬鹿さん」と「お顔が」を使うとの事。「お顔が」は頭が良いがブスの事らしい。女子が男子を評価すると一体どうなるのだろう?当然現代の事だから、「お馬鹿」は最下位に置かれるのだろう。だからスポーツをしていても、結構勉強も頑張る子が多いようだ。婆さんは「内容も喋り方も立派なものだ。総理大臣も甲子園で選手宣誓をする子を見習うべきよ。」と曰う。我々の時代も呼称はともあれ、同じだったのだろうかとの疑問が湧いた。実在したかどうか定かではないが、子どもの頃「森の石松」が妙に好きだった。今でも東映時代劇で中村錦之助の演じたイメージが記憶に残るくらいだから相当なものかもしれない。やはり子供の頃に接するイメージを選ぶ必要がある事を今更ながら痛感するが、最早手遅れである。清水の次郎長なるヤクザの子分、物語(講談や浪花節)では確か28人衆だったか、その中では下っ端の方であったと思う。キャラクターは明確で、乱暴だが生来おっちょこちょいの上にお人好しのところがある。身上は極めつけの名セリフ「馬鹿は死ななきゃ治らない」その通りに、親分は江戸末期から明治まで長寿を保つが、若くして親分のお使いに出た(四国の金比羅山への代参)帰り路であっさり殺されてしまう。昔の人は考えて、演芸の中にこのような反面教師のキャラクターを上手に埋め込んでいる。要するに「そうなっちゃいけませんよ」と教えるつもりが、変に愛嬌良く仕立てるので、小生のように「馬鹿」でもいいように勘違いするファンが生まれてしまうのだ。先に述べたように孫達には講談・浪花節は流行らないだろうから心配する必要はないだろう。自分とすれば、子供の頃から好き好んで「馬鹿」であった割には女房子供にも恵まれて長生きが出来た。次郎長のような親分を持たなかったのも幸いだったかもしれない。しかし最後まで石松の名文句通り「馬鹿」でいるしかないだろう。【Japan Earthquake: before and after】タイトルと無関係ですが、友人が紹介してくれたサイトを転載します。http://www.abc.net.au/news/events/japan-quake-2011/beforeafter.htm

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