人間観察そして恋そして小説も

なにかがおかしい 

2017年08月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

身から出たサビとは言え多少気の毒な気もする。今話題の元スピードの今井議員騒動。週刊新潮に神戸市議の橋本健氏との不倫疑惑が報じられた今井絵理子議員(33)が27日、報道各社にFAXを送信。「略奪不倫ではありません」と訴えた。今井議員はFAXの中で、「一線を越えていない」と強調。これについてネット上では「どこで線引きするのでしょう」などのツッコミが入りまくった。今井議員はFAXで、橋本氏が妻帯者であること、そのために「一線を越えてはいけない」と約束したことを記した。これにネット上では「一線を越えていないならなんで謝るの?謝るようなことした時点で、犯罪と変わらないよ」と厳しい指摘。 また、「妻帯者との一線を越えていないとはどこで線引きするのでしょう。妻帯者と知って好意持った時点で一線越えてるとおもいます」「一線って何?」と今井議員が刺す「一線」についてにツッコミが見られた。 さらに、「一線を越えていないんですって笑える。子供が聴覚障害者ですと掲げて議員になったはずなのに、その息子を置き去りにして政務活動ではなく、恋愛を楽しんでいたんだ」と子育てをないがしろにしたのではとの指摘も多くみられた。手厳しい。当然言えば当然だろうが、袋叩きだ。一線を越えようと超えまいと、そんなことは関係ない。楽しんでいるのだ。世間は。新しい獲物が見つかったことを。それにしても恐ろしさを感じる。人の弱みを虎視眈々と狙うマスコミ新しい獲物のニュースが出ないかとネットを飛びかうネットユーザー。ひとたび獲物を見つければ全員で取り囲み道義的制裁の嵐。総括じゃ、総括じゃどこかで見たような光景・・毎度の光景だ。違和感を感じる。いや空虚感かも。人は過ちを犯す生き物。叩けば誰だって埃は出るもの寂しくなれば、誰かに寄り添いたくもなり、愛を求めることだってあり得る。道義的行為を糾明することはある意味、私的制裁になる。日本は法治国家。私的制裁は禁じられている。よってたかって(疑似犯罪者)を正義の名のもとに叩くのは、度が過ぎると、見ていて気持ちの言いもじゃない。不倫それ自体は今の日本では犯罪ではない。道義的責任はあるが、それは当事者間で解決すれば良い話。不倫するような者が議員をしているのが許されないのなら、次の選挙で落とせばいい。直ぐに解任させる制度がないのなら、その制度を作るように動く方が先ではないのか。いたずらに同じ過ちを何度も繰り返すを、愚かという。法にのっとった行動をするのが、良識ある人間の姿ではないのだろうか。公的人間だからといって、私生活の深部まで土足で踏み込み、道徳観を己の基準に照らし合わせ、間違っていると吠え、世論を扇動し、気づけば身ぐるみはがして外に放り出す、これは私的制裁以外の何物でもない。道義的過ちをしたものから、全ての権利を奪い取るのは、果たして正義なのだろうか。天に唾する・・・いずれしっぺ返しは自分達にも来る。その時慌てても遅い。独裁にしろ、戦争にしろ、小さな過ちを見過ごす心の隙の積み重ねで起きる。いきなり起きるものではない。私的制裁の容認は、いずれ大きな禍根の種となる。何かがおかしい。  にほんブログ村

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