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ノモンハン事件 

2017年08月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


ノモンハン事件 昨日は終戦記念日でしたが。。。疲労回復で静養中だったので 今日書きます 終戦と言えば いつも原爆の話が出ますが このノモンハン事件こそが 本当の元凶なのです 昭和12年あたりから 日本軍とモンゴル軍が 小競り合いを起こしてまして 内容的には日本の圧倒的 の優勢でした 但し深追いはしない ソ連とぶつかる恐れがあったのです モンゴルはやがてソ連に救援を求めるように ソ連は参戦した それでも関東軍(日本)は有利で ソ連軍を追い払っていた 当時ソ連は軍の粛清中であり 頭の悪い軍団長 無能な指揮官 戦車の運転すらまともにできない戦車兵 下手くそ爆撃のパイロットのおかげで関東軍は 圧倒的優勢を誇っていたけど  厄介な事が起きた ソ連の軍団長の交代があった  ゲオルギージューコフ =後に 独ソ戦で指揮をとりベルリン陥落を達成した人物 ジューコフは就任するなり おバカの軍団長 無能な司令官を 解任 処罰 戦車兵は地獄の特訓 下手くそパイロットもしごき 一旦はやばいとこだけ止めて にらみ合いで時間稼ぎ そして 特訓が終わった後 攻撃 ジューコフの巧みな作戦指導で 関東軍は壊滅寸前まで追い込まれ モスクワに使者を送って 停戦 ソ連側も独ソ不可侵条約を結んで間もない事と 兵力 増強温存が最優先の状態だったので 停戦に こぎつけられた  関東軍は 参謀どもが軍法会議(敗戦 物資横流し 他悪事)を恐れて 兵を南方に転属させて証拠隠滅 実を言えば 日本とソ連の戦死者は 比率から言えば ソ連が倍多い 初期戦闘の影響だけど 戦後 ジューコフはこう語っていた ”一番苦労したのはノモンハンだと” この戦いで 学び モスクワに転属し ドイツ軍の猛攻を食い止め やがて ベルリンを陥落させた 部下の無能さに苦労しながらも 進撃した ちなみに後に書記長になる フルシチョフは ジューコフの頼りない部下であった  スターリングラードで壊滅寸前 わずかの区域まで追い込まれ ジューコフの攻撃で助けられ その後の 第3次ハリコフ攻防戦では ドイツ軍の罠にはまって 部隊は全滅 結局ジューコフが尻ぬぐい 次のクルスク戦では これまたフルシチョフが大ヘボやらかし ジューコフがしりぬぐい ノモンハンの経験のなせるわざでしょう ジューコフの立場にてみれば ノモンハン事件がすべての学びって 事のなのでしょう 日本の立場にすれば ノモンハン事件は語りたくない 思い出なのでしょう そして ベルリン陥落後 ジューコフは部隊を再編制 休養の 後 再び 満州に攻め入り 2週間で壊滅に追い込んだ 日本にとって全ての始まりは満州建国で始まり満州壊滅で 終わった って事かな ジューコフは 戦後 英雄とたたえられ 国防大臣になったけど 何故か ヘボ部下だった フルシチョフが書記長になり 進言によるいざこざで 地方に左遷 1974年死去 皮肉だけど 前年 独ソ戦で 知恵比べをしまくった ドイツのマンシュタイン は1973年に死去 独ソ戦当時は互いに戦況図とにらめっこして駒を 動かし 互いの動きを 探りあって 兵を送った間柄 今頃あの世で酒を酌み交わしながら チェスで知恵比べしてるかも どっちもチェス好きだからね 話は ずれるけど ある番組で かつて ノルマンデイで 撃ち合った アメリカとドイツの兵士が60年ぶりに再会し 恨みもなく 抱き合って 思い出話をしたのを見た 収録語も朝まで 酒飲んでいたらしい  結局 戦争なんてものは 権力者の壮大なチェス 目的は 支配と隷属 いつの世も変わらない 支配と隷属が目的故 核ミサイル は脅し用のハリボテが不幸中の幸いか 多分 北朝鮮は戦争で滅び ロシアか中国が支配権を狙うだろうな 次が中東かな。。。。。。

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