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独りディナー
巡礼という響き
2017年09月10日
テーマ:シニアライフ
中学の友人から、電話があった。
主人と共通の友人である。
内容は、葬儀の際に流した主人の弾き語りの映像の事であった。
会葬御礼の封筒の中に、娘が「映像へアクセスできる、URL」のカードを同封した事を、誰かから聞いたらしく、他の友人達にも公表して良いか、という事だった。
その時に、「丁度、スペインに一ヶ月位行ってたので、葬儀にも出られなくて・・」と言うので、仕事で行ったのかと思ったら、巡礼の旅をしていたのだと言う。
その時、うっすらと、昔、須賀敦子の随筆で、巡礼の旅について読んだのが、思い浮かんできた・・。
彼女は別に、カトリックという訳でもない様子だったが、昨年もやはり一ヶ月位かけて、巡礼したという。
札幌から帰宅して、捻挫してしまった足は、ゆっくり回復はしているものの、まだ到底、靴を履いて外出できる状態には至らない。
昨日、何時も伺う教会の牧師さんに、メールを出した。
先週の日曜日も、主人の納骨があって、礼拝に参加していないし、重ねて今週も失礼する、いわば言い訳である。
私は、その牧師さんのお説教を聞きたくて教会に行ってるので、時折印象に残ると、僭越ながら感想をメールで送ったりしているのである。
とても真摯に向き合って下さる方だけあって、夜になると、添付と共に返信が届いた。
最近は、私が聞いて居る事を意識して、説教の準備をされている、といった内容と共に、
「今ちょうど、明日の原稿が出来たところなので、添付して送ります」
添付された原稿は5ページにわたって書かれていて、私はプリントアウトして、何度も読んだ。
中で触れられている聖書の言葉は、日本語版と、日英対訳版と、そして現代語訳英文版との、三冊の聖書を対比して読んだ。
私はまだ、信仰心までに至ってないので、聖書の言葉の受け取り方が、浅いだろうと思う。
牧師さんの、届けていらっしゃるメッセージが、私の中で咀嚼されていくまでには、まだ少し時間を要するのだろうとも思う。
むしろ、耳新しい言葉を、次々と検索していくうちに、其処に出てきた、12弟子の一人、ヤコブに関する記述が目に留まった。
ヤコブの遺骨が葬られているという、スペインの「サンティアーゴ」は、エルサレムやバチカンと並んで、三大カトリック巡礼の目的地だという。
これは、もしかしたら、今後の私に、一つの目標を与えてくれたのかも知れない。
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高齢者のアドバンテージ、ですね!
特に、海外へ行くつもりはありませんでした。
只、身の丈に合った、一人旅がしたいなあと思っていたのです。
瀬戸内海辺りで、牡蠣三昧の日を送るとか、東北の海辺で貝づくしの毎日を送るとか、海の幸に恵まれた場所を訪れたい、と思っていました。
本来は、主人とそんな老後を過ごす予定でしたが、一人旅も又悪くなかろうと思い始めています。
ところが、突然「スペイン巡礼」という言葉が、忍び込んできてしまいました。
壮大な一人旅です。
ゆっくり準備期間をおいて、考えてみます、前向きに・・。
主人がよく、「前向きに検討します」という答弁は、やらないと言う意味だよ、と言ってたのを思いだしながら・・。
2017/09/11 10:01:36
勇気づけられます
師匠、重ねてのコメントありがとうございました。
自分のペースを作る、というのがキーワードでしょうか。
「その際に、一つだけ言えることは、その進むスピードに比例し、旅の興趣は、薄らぐということです。」
歩くのが好き、というよりも、自力で進める他の手段を持たない私にとって、この言葉は光明です。
時間はたっぷりありますよね。
私が最近、苦戦を知りながらも、スマホに替えた大きな理由は、旅をしたときに、行く先で宿を探したり予約がきる、という事でした。
続けます。
2017/09/11 09:51:24
続き
私の遍路仲間である、Z先輩は、後期高齢者になってから、巡礼に出ました。
社会や家族に、迷惑をかけてはいけない。
との思いから、先輩は、無理をしないと決めました。
一日の歩程を、20キロ以下に抑える。
次の宿を予約するに際し、午後二時を過ぎた辺りで、辿り着ける宿にする。
などです。
要は、身の程を弁え、若者と同じことを、しなければ良いのです。
先輩は、この自戒のもとに、人より多く日数を要しましたが、目出度く
四国一周を歩き通しました。
体力は、若者に負ける。
しかし、時間なら、たっぷりとある。
お金も、そこそこある。
子供に残すくらいなら、自分のために、費やしてしまおう。
そう考えたなら、高齢者にだって、アドバンテージは、あるはず。
決して、引っ込み思案になる必要は、ないと思います。
随分と煽っておりますね。
これ実は、私自身への、励ましの意味もあるのです。
そして、旅のことになると、私はつい、止め処がなくなってしまうのです。
2017/09/10 20:44:48
旅について
私なりの考えはあります。
そりゃ、歩けるなら、歩いた方がいい。
得られるものが、格段に違います。
しかし、他の交通手段を、否定するものでは、ありません。
電車でも、バスでも、マイカーでも、何でも良い。
その際に、一つだけ言えることは、その進むスピードに比例し、
旅の興趣は、薄らぐということです。
飛行機より、列車。
特急列車より、緩行列車。
高速バスより、路線バスの乗り継ぎの方が、旅の中身は、必ずや、
濃いものになります。
ちなみに「ツアー」……私はこれを「旅」とは見做しておりません。
「旅行」もしくは「娯楽」と捉えております。
スピードと便利さ、その対極にこそ、旅はある。
とするのですから、私の考えは、世の多くの人には、
受け入れられないかもしれません。
あくまで、恣論であります。
もう一つ、シニアの一人旅が、社会の迷惑になるかどうか……ですが。
字数の関係で、コメントを分けます。
2017/09/10 20:40:55
巡礼とは
コメントありがとうございます。
巡礼について書いたブログに、師匠からコメントが頂けたのは、とても嬉しいです。
勿論、師匠の事を思い出して書いていましたから・・。
巡礼というのは、色々な形があるのでしょうけれど、やはり基本は「一人で歩き通す」でしょうか・・。
捻挫をして、家の中の歩行もままならないで、スペインの、巡礼の道を調べている自分が、滑稽ではあります。
或いは、これは警告なのかも知れません。
一人旅は、元々好きなのですけれど、シニアの一人旅は社会の迷惑、になりかねませんね。
2017/09/10 19:36:45
目標
草稿を添付した、牧師さんの気持、よくわかります。
例えば、私のような拙文を書く人間にだって、
想定する読者というものは、あります。
この人に読んでもらいたい。
と、願いつつ書いたところが、逆に、多くの読者の共感を得た。
ということが、しばしばあるからです。
シシーマニアさんが、牧師さんにとっての「この人」なのでしょう。
感動は、個々人の所為のように見えて、案外に普遍性がある。
ということではないでしょうか。
カトリックのことは、わかりません。
私はかつて、信仰心など、ほとんどないままに、宗教行為と目される、
旅に出ました。
巡礼と言っていいでしょう。
旅を終え、その宗教と宗祖に対する親しみが、俄然、大きくなりました。
帰依するとか、篤信者になるとか、ではありません。
しかし、人生を歩み行く上で、大きな自信とやすらぎを得たことは、間違いありません。
「旅に出ようよ」
迷っている人が居たら、私はこう、声をかけてやりたいです。
きっと、何かが、見つかるはずです。
2017/09/10 15:22:49