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ZRX1200S城

佐東銀山城(安芸武田城)安芸国守護の城 1 

2011年04月08日 外部ブログ記事
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        佐東銀山(かなやま)城(安芸武田城)跡
  

 銀山城は広島県最大の山城で標高410m(比高400m)の武田山に築かれています
初期の戦国山城の特徴をよく残した城です。

50ほどの曲輪跡や堀切、枡形の原型とも言える巨岩を配した門跡などの遺構があります。

大掛かりな土木工事の痕跡はありません。

城跡からは広島市方面への展望が良く、瀬戸内海が一望の下にできます。
ハイキングでも知られた山です。 

歴史

 承久三年(1221)承久の変の後、甲斐源氏の五代・武田信光は恩賞として安芸国守護に
任命されます。 甲斐国守護も兼ねていました。

本人は鎌倉に住み安芸国には守護代を送っていました。

文永十一年(1274)孫の信時の代に鎌倉幕府より蒙古来襲に備え安芸国に下るよう命じられました。

銀山城は七代・信時の孫・信宗(元徳二年1330没)の代に築かれました。

信宗の子・信武は南北朝の動乱で足利尊氏に付き毛利、熊谷、吉川などの安芸国御家人を
率いて東上しています。

信武の子・信成は甲斐武田家を継ぎ信玄へと続きます。

安芸守護は信成の弟・氏信が継ぎました。氏信が安芸武田家初代となります。

以後、熊谷氏、香川氏、己斐(こい)氏などを家臣化しましたが、
大内氏、尼子氏に挟まれ、安芸一国を支配するまでには到りませんでした。

七代・元繁の代には大内義興に従い足利義稙を将軍職に復帰させると京都に留まり、
元繁もこれに従い京都に駐留していました。

留守の安芸で、厳島神主家で後継者を巡って争いが発生したため、
義興は鎮圧のため元繁を帰国させました。
元繁はこれを好機と見て、独立と勢力拡大を画策しました。

義興の養女である妻を離縁し、尼子久幸の娘を妻とし尼子氏の支援を背景に大内氏から離反しました。元繁は大内側の城を攻撃するなど、安芸国内での勢力拡大を図りました。

永正13年(1516大内方の毛利氏・吉川氏に占領されていた有田城を攻撃しました。

元繁は、自ら軍を率いて毛利・吉川連合軍を攻撃、優勢に戦を進めましたが、
流れ矢に射抜かれ落馬、首を取られました(有田中井手の戦い)

元繁の討死により、嫡男武田光和が相続します。

銀山城はしばしば大内氏の攻撃を受けますが、持ちこたえます。

しかし勢力の衰えはとめられず、熊谷氏などの家臣も離反し
光和死後の天文十年(1541)五月に毛利元就により攻め落とされました。


登城


郭配置図 (頂上の看板より)


武田山憩いの森のルート案内図


ここから登城しました。       
                               
                   

                   

やっと馬返しに到着
結構登ったようですが麓から500Mとの表示


馬返し ここから先は馬では登れないほどきついので馬返し

馬返しの段、けっこう広く展望もいいです。

木がなかったら三入高松城方面も見えるでしょう。
山の西方に山陽自動車道のトンネルが通っています。
広島インター下ってすぐのトンネルです。


ここからは側溝のような道をのぼっていきます。



            


これも道です。


御門跡に到着

     
                                        





                      看板
           
                    
直角にこの道に入ってます。
                    

すこし入った所から御門跡を見る


御門跡からの展望
広島市中心部の殆どが見渡せます。


すこし望遠


さらに登ると本丸(千畳閣)に出ます。
大きな石が多くなってきました。
 

本丸(千畳閣)は40mX20m位の広さです。


城跡とはまた安易な表示

すぐ上にも郭があったようです。


やっと頂上付近まで着きました。


画像一杯なので2に続きます。

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