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平成の虚無僧一路の日記

水上勉の闇 

2010年05月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



どうも好きになれない。

水上勉は、子供の頃相国寺に預けられた。二度ほど脱走し、
等持院に移籍する。そのどちらの寺の和尚も、70歳を
越えていたが、年若い内妻を寺内に囲っていた。

水上勉は、夜には兄弟子たちの「夜伽」をさせられていた。
その体験から、一休も安国寺に預けられた時は、そのよう
な目に遭っていただろうと推定している。

水上は、寺の拝観料をくすねて、五番町の色街に出かけ、
初めて女を買っている。

昭和11年に花園中学を卒業した水上は、その2ヶ月後に
等持院を飛び出して還俗している。

彼が還俗したのは、僧門に絶望したためではなかった。
戦争に行くことになれば、俗世の生活を知らずに戦死する
かもしれない。徴兵検査の前に、俗世間の味を知ろうと
考えたからだった。

その後の女遍歴がすごい。廓通いに狂って借金生活。
21歳の時、東京に移住。そこで同じアパートに住んでいた
女性を妊娠させ堕胎。当時は(今も?)堕胎は罪に問われる。

一年半後にはその女性と別れ、M女を見初めて同棲する。
その女性に生ませた子供が、無言館長の窪島誠一郎だった。

そして間もなく、この女性とも別れた後、さらに2人の
女性を妻にしている。作家とはそんなもんか?

水上勉は、自分の半生を『わが六道の闇夜』で赤裸々に
綴っている。そして自身の女遍歴を一休と重ね合わせて
いるの。水上勉ごときと一緒にされては、一休さんも
たまったもんじゃない。「一緒にするな」と私は言いたい。

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