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独りディナー
写真
2017年12月29日
テーマ:一人暮らし
カレンダーを、来年の版と取り替えるのを機に、今年のカレンダーに残されている、色々な書き込みを眺めた。
昨年の12月30日、お餅を買いにいつものデパ地下に居たら、主人から電話があったのだ。
急いで帰宅すると、非常に具合が悪そうで、すぐかかりつけの病院の救急に電話して欲しい、という。
何処が、と詳しく訊くのもはばかれる様子だったので、結局最後まで詳細はわからない。
病院に着くと、その日からお休みを取る、と仰ってた筈の主治医が、まだご自宅にいらしたらしく、駆けつけて下さった。
「今入院したら、もう帰れませんが・・」と言われたが、主人の意向で入院を決めた。
その後、初めての、一人で過ごした年越しのことは、よく憶えている。
これから、長くお世話になるかも知れないと思い、大晦日にデパートへ行って、ナースステーションへ持って行くクッキーなどを買った。
例年は、買って来たお餅が少し堅くなったところで、主人が長方形に切るのだけれど、初めて自分で切った。
病院から家に戻り、何の用意もしていなくてお餅しか無く、寒い日だったから、小豆の缶詰で簡易お汁粉を作った。
そして、身体を温めて後、ぐっすりと眠った。
翌日元旦に、東京から息子夫婦と娘夫婦がやってきた。
最初から、その予定だったので、特に変更する事はないと伝えたのだった。
主人は、自分の為に人を巻き込むのを、極力避ける人だったから。
勿論、お節料理なども準備して居ないし、子供達が元旦も開いている病院の側の焼き肉屋さんを見つけてくれて、そこで新年の食事をした。
翌日は、よく晴れた日だった。
病室は南側に面していたので、家族六人が集まると暑いくらいだった。
息子が、主人に言う。
「ねえ、お父さん。僕たち全員からのお願いがあるんだけど・・」
「うん」
「みんなのお願いだから、簡単に、そんなの駄目だ、なんて言わないでよ。」
「何だ?」
「一緒に、写真撮ろう。」
主人は頷いた様だった。
その瞬間、あっという間に息子は部屋を出て、シャッターを押してくれる人を探しに行ったのだ。
その時の写真が、最初で最後の、家族六人が揃った写真である。
その後は、半月くらいの入院中に、主人の状態がかなり良くなって、思いがけず退院する事が出来たのだった。
帰宅すると、ポーランドの主人の親友から、家族写真の添付されたメールが届いていた。
何度も私達を招いてくれた別荘での、集合写真だった。
主人は、我が家の家族写真も添付して、彼にメールの返事を書いたらしい。
そして、両家の家族写真を並べてプリントアウトし、額に入れて、リビングの壁に飾ったのだった。
あんなに、写真を嫌っていた人なのに・・。
一方、写真好きのその親友は、会う度に沢山写してくれて後で送ってくれたから、我が家の思い出のアルバムは、殆どがそれらの写真である。
葬儀の時に使った遺影も、彼がチェコでのパーティの時に撮ってくれた時の中から、一枚を選んだ。
今、その遺影は、主人が食卓でいつも座っていたすぐ側の、サイドボードの上に飾ってある。
そして、私は食事の度に、今までの様に主人と向き合って、「戴きます」と声を掛けているのである。
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吾喰楽さん
コメントありがとうございました。
主人は結局、1月中旬に退院して後、6月に亡くなるまで、半年間自宅でほぼ普通に生活できました。
思っても居ませんでしたので、まるでボーナスを与えられた様な気がします。
最後まで自宅で過ごせたのは、主治医の理解のお陰でしたし、ストレスが無かったことが、半年間も静かに過ごせた理由だと思っています。
2017/12/29 22:05:22
遺影
最後に妻が入院した時と重ね合わせて、ブログを読ませて頂きました。
わが家の場合は、定期の外来受診の日で、その場で入院が決まりました。
何の支度もしていませんから、日用品は病院の売店で揃えました。
遺影は、闘病を始めて二・三年経った頃、彼岸花の群生地の巾着田で撮ったものです。
その日に、遺影に使うことを決めました。
>遺影は、主人が食卓でいつも座っていたすぐ側の、サイドボードの上に飾ってある。
私も似たような感じです。
サイドボードではなく、出窓ですが。
2017/12/29 21:05:38